授業づくりネットワークNo.36―学級崩壊を問う!
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自分自身が学級崩壊を体験したのは、教師になって8年目(平成8年 1996年)でした。本書の河村茂雄先生の原稿を参考にすれば、ちょうど「学級崩壊が社会問題化」するころと一致します。ちょうどQ-Uを開発(1998年)しそれらに向けて運用しだす頃だったのですね。河村先生の先見性の高さが伺われます。
赴任してすぐの6年生担任。春休み中から周りの先生に「先生の学級はとても元気でやんちゃな多い子どもたちが集まっていますからね〜」と言われて新年度を迎えます。新学期が始まってすぐ、教室前に立っているわたしを大勢の子どもたちが無視して授業中でも「おい、◯◯!今日、学校帰ったら、◯◯のところに◯時集合な!」など普通であれば休み時間に行う日常会話を大声で、乱暴な声でやりとりしたり、女子からは無視は当たり前、加えてすれ違ったり、近づいたりすると「臭いから近づくな」やノートや印刷物の提出も私に近づきたくないので遠くから投げてよこすなどもありました。もちろん、学校内外でのトラブル、事件もたくさんありました。
この時代、学級で私自身が救われたのは、わたしが学級崩壊を引き起こしたのではなく、もともと「崩壊状態だった」ということです(もちろん、もともと甘く子どもたちに接するわたしですので子どもたちとの初対面してからの数日間で崩壊を加速させてしまった感覚はあります)。
ですので、同僚の助けを受けて、夏休みを隔てた2学期以後、「崩壊学級」から「元気な学級」へ変化して今では楽しい思い出になってはいます(ただし、全員の子どもたちの当時、そして今の状態を聞き取りしていません。わたしとの1年間があったからこそ、今でも苦しんでいるという子どもはいるかもしれません)。
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自分が小学校教員から離れて5年になりますが、小学校教員の後半時代は上の自身が体験した「学級崩壊」とは異なる「微妙なズレ」を感じたまま生活していました。わたしは、「一般社会」と「学校の制度や仕組み考え方」との大きなズレに子どもたち自身が過剰に適応しすぎたり、反対に、適応できなく頭、心、体が「おかしいでしょ!学校!」という感じで「適応できない状態」を表現しているのだと思います。
そして、ここにきて(もともとスッキリした形ではなかったとは思いますが)「社会そのもの」が矛盾をきたしたものとして表面化しています。例えば、「対話」が大切といいながら「対話」ができないような雰囲気や仕組みをつくってみたり、「主体性」を持とうといいながらそれを発揮しようとすると止められる、または発揮できないような仕組みになっていたりということです。これら、大人でもモヤモヤしているものが、学校というより過去の産物が多く、閉じられた空間の場所で生活する子どもたちが「ドッカーン」と様々な方法で表現した結果、今の「学級崩壊」に結びついているのではないかというのがわたしの見立てです。
ま、これはこれ。わたしの個人的な考えですが、紹介が大幅に遅れました。「授業づくりネットワーク」本書では、学級崩壊の歴史から学びつつも、「今の学級崩壊」現象をどのように捉え、どのように対応していくかを取り上げています。
執筆者陣を見てもらえればおわかりの通り、これ以上ないという方々に書いてもらっています。
ぜひ、お読みください。
上に書いたわたしのしょぼい「学級崩壊」の見立てとは比べ物にならないさすがな提案、分析、対応、が紹介されています。
今の学級崩壊がこの1冊でわかる!
90年代後半のフェーズから今、何が変わってきているのか。「学級崩壊」の歴史を丁寧に分析するとともに、現代における処方箋をお届けする。【小・中学校教師対象】 ★目次より★
【巻頭座談会】
■巻頭言1
■巻頭言2
■パート1 現代の学級崩壊とは何か
1.各論者の分析・視点
・「学級崩壊」30年、今、学校が向き合うべきこと/赤坂真二 2.崩壊を乗り越える私の処方箋
・明るい風を送るそして撤退もお互いのためには良い選択になり得る/堀川真理 ・環境が最適化されれば、子どもは学ぶようになる/山田洋一 ・教師の心を伝える対応が子どもとの心のズレを修復してくれる!/高本英樹 ■パート2 現代の学級崩壊の記録
■パート3 学級崩壊を考えるための本