床屋さん、「価値観」転換の難しさを語る
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いつもの大学近くの床屋さんでいつもの雑談をしながら、なるほどなぁっと思った話。 なんとはなしに、髪型の流行の話になった。ツーブロックがブームだけで終わらずに一般的に定着するようになったのは驚いたとか。 テクノでお願いというと、もみ上げを残さないカットとして残っているとか。 それまでモヒカンをしていた人はベッカムがモヒカンを流行らしたことでモヒカンと注文しにくくなった(つまり、ベッカムの真似ねと思われる)のに対し、聖子ちゃんカットが大流行したときはみんな聖子ちゃんカットにしたくてしたくてしかたなかったとか。 まぁ、こんなことはどうでも良くて、大切なのは、というか、わたし的になるほどなぁと思ったのはこの次。
床屋さんがしみじみ語ったんですよ。
「刈り上げってあるでしょ。床屋の修行中、ここから上には絶対に刈り上げちゃいけないと指導を受けてきたんですよ。これ以上刈り上げるとダサダサのおじいさん(おじさん)になるからって」 「でね、今、若者はそのこれ以上刈り上げちゃいけないと言われたところ以上の刈り上げを注文するんです。今はそういう世の中なんだなぁ…と納得しようと思いつつも、どうも手が止まっちゃう感覚があるんですよね。こんなに刈り上げちゃっていいのかなって」
こういう会話って、相手の話を聴きつつも、自分の範疇に引っ張って考えるもんじゃないですか。でね、わたしは教員も今までの自分の価値観を変更できずに(周りが世の中が)おかしいと思ったり、悩んだりしているのかなぁと思いました…とさ。 (というか、もうこういう悩み、つまり授業観の転換とかは今の教育界ではすでに中心ではないのかな)