協同学習実践論ではなく、協同的な学習実践論であるということ
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みんな、真剣に、一生懸命にわたしの「つまらない」話を聴く姿勢をとってくださるものだから、思わず、今日は語ってしまう時間が多くありました……。いかんいかん。
日常の会話、または、酒の場などで、本当にわたしの話を聴きたいという姿勢をとってくださる方が目の前にいると、たぶん、延々と自分の思っている話をし続けます。わたしの本性は、「わたしの話を聴いてください人間」なのだと思います。ただ、いつかなぁ。いつからかなのですけど、自分の話を聴きたい人はいないということを感じてからは、自分はできるだけ「聴く人」になろうと思ってきました。「語りたい人」はたくさんいるわけですから、「聴きたい姿勢」をとるだけで、この人はとても「話すことが上手な人」と思ってもらえる……というのは、D.カーネギーの言葉にもあります。
で、授業開始時、みなさん、シーンとしてわたしを注目してくれています。そんなだから、思ってもいなく熱く語り始めてしまっていた自分に、ちょっと話し続けての途中で気づきました。よかった。まぁ、途中からでも気づいたからね。
中心は、わたしが持っている「知識」「情報」を提供し、その場で「体験」してもらい、そのことに関してどう感じたかを学生の皆さんが話してもらう。絶対的な正解がない中で、みなさんが創り出していく感じでいてほしいのです。
「協同教育学会」が存在し、学術的にはその周辺から有意義な情報が発信されているので、その情報を用いて紹介し、体験してもらうことをしますが、「協同学習」だけを学ぶ授業ではありません。そこに、『学び合い』のことやら、わたしたちが大切にしている「目標と学習と評価の一体化」を入れ込んで授業を進めていきます。 毎回、「Google Classroom」を使って学習者からリフレクションをもらい、それにコメントを入れる形で返しています。参加されているみなさん、それぞれが、肯定的に受け止めて返してくださっています。すでに、リフレクションの質も高いです。みなさん、さすがと思います。 こういうとき、一番の学びになっているのがわたしなのですよね。
そろそろ、学生さんが前に出てきてもらって、今のわたしのような学びをしてもらう時期にきています。つまり……何するかというと……笑。