体験して、感じて、感想を持って、想いを広げると言うこと−自主ゲームゼミ−
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「学習ゲーム」という言葉とわたしをひっかけてくださったのか、その都度、わたしに声をかけてくれる。 時間もちょうど空いているときだったので、昨年も今年もそのほとんどに参加した。
講師や先生という立場ではなく、たんなる一参加者という扱いがなんとも気持ちよい。
飯村さんが進めるフレームはとてもシンプルで、
とりあえず、そこに書いてあるとおりにやってみる(体験してみる)
「学校教育の中で扱えそうか、扱うとしたらどんな場面か、どういうところに注意をするか、どんな改変が必要か」を話し合う
である。
他は、やんわりと、進めていく。
飯村さんのキャラクターなのかどうかわからないが、この「やんわり感」が(わたしには)なんとも心地よい。
実は、すごろくや著「大人が楽しい紙ペンゲーム30選」は最近のわたしの講座その他でのネタ本なので、あまり、ここで知らせたくないのだが、この「自主ゲームゼミ」のおかげで、自分も一参加者として参加することで、様々な発見、感想を抱くことができて、生々しい感覚で講座その他で使うことができている。 飯村さんに、感謝である。
こうした、活動的なプログラムは、ちゃんとした一参加者として(ある意味真剣に)参加できるかどうかが、勝負所だ。
ここで諸々のことを忘れ、(ある意味)捨て去り、我を出して参加してみることで「なるほどなぁ」という府に落ち感が生じる。
リフレクションは、その後に、意識して行えばよい。この歳になったから、ある程度のリフレクション(で行いたいメタ認知)の作業は、周囲の知人に協力することで行うことができる。
その代わり、歳を重ねると、目の前の活動そのものに「本気で」参加することが難しくなる。だから、歳を取れば取るほど、その「夢中で参加すること」の方に意識を置いて、取り組んでみたい。
「実感」という感覚を忘れないために。