会議の半日。その中で主体的なゼミと個性的な研究方向
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水曜日は、会議が多い。
会議の裏番組のように、主体的に進めるゼミ。
会議と会議の合間、ちょっとだけ顔を出すも、自分たちで進めている模様。
わたしが邪魔をする必要はない。
ワークショップ形式でゼミを進めるようになっているので(修了生たちが形を作ってくれたおかげ)、その都度、ファシリテーターを立てるようになってる。後期に入り、M1がファシリテーターを順番に務めるようになっている。しっかり、次へとつなげるような仕組みも作ってくれているようだ。ありがたい。
今回のファシリテーターは、今日が初めて。
みんなに気遣い、それなりに緊張し、過ごしていたようだ。微笑ましい。ここで、「失敗しても大丈夫体験」をしておくことはとても良いことだと思う。
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ゼミの後半、個人研究構想発表の時間にはなんとか間に合って参加した。
気になるあの子、困っているあの子、に寄り添い、少しでもよりよい日常生活が過ごせるようにとエピソード記述をツールとして、担任とリフレクションをしながらその子たちの変化を見とっていくことはできないかと考える院生。 こうして見ると、本当にわたしのゼミには多種多様な興味をもった学生たちが集まってきていることが面白い。
学生が取り組むことで、わたし自身も(たとえ表面的であっても)その方面の情報収集をすることになり、何もしないとどんどん過去の概念で固まってしまっていきそうなわたしを奮い立たせてくれる。
これは、従来の「教科教育の内容」だけに特化した研究を進めるとか、「教科外(例えば生徒指導ような分野や領域)に特化して研究を進める」という「環境」では学ぶことができないことである。
上越教育大学教職大学院教科教育・学級経営実践コースというコースがあるからこそ、これらの研究をズドーンとど真ん中で行えることであり、一見すると(例えば、国語にダンスなんて…)奇異に見えることであっても、日常的に学校に入り込んでいるからこそ、今の学校に足りないもの、必要なものと自分の興味関心とを結びつけてこんなのはどうだろう…と考えていけるものなのだと思う。 きっとこういう多彩な取り組みをしているのは(自分で多彩と言ってしまっていいものか躊躇するが)、本コースの他ゼミも同様なことと思う。みなさん、教科教育と学級経営を不可分なものとし、関係性ある研究をしているゼミがほとんどなのだ。
もちろん、「研究」となると、わたしたちのようなものは、学際的であったり、いろんな内容が多種多様に組み合わさっているのでクリアな「論文」などにはしにくくなるし、もし、「論文」というものにしたとしても従来の学会の方式で言えば、沢山の色が混合していて「あなたの主張していることはあなたが行ったことだけで変化したとは言い難い」と言われてしまうことが多々あるように思う。
この「現状」をどう打開していくかだろう。
いろいろと考えてみたい。