人生残り20年のつもりで、酒を飲みながら過ごした今年(2020年)の新盆
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父の一周忌、そして新盆、そしてお墓
今年(2020年)7月。父の一周忌を済ませ、このお盆は新盆で多くの親戚が我が家を訪れた。お盆といえば、セミの声を聞きながら、スイカを食べて、高校野球をボウッと見ている時間だったはずが人生において最も緊張する3日間となった。
3月、「お墓」が完成した。「お墓をつくること」「どんなお墓をつくるか」についても悩んだ。しかし、こんな家族という小さなコミュニティ一つとっても「わたしの勝手な思い」をそのまま通すことはできないし、してはいけない。わたしの環境としてはずいぶん立派なお墓ができたものだと思う。
人生あと20年と目標というか終活を定める
父は享年79歳だった。生前は「健康」を自慢し、そのとおり、ほとんど「病院」にかかることはなかった。しかし、晩年(75歳頃)認知症を患い、急速に衰える。「父と認知症」というか「父の性格と認知症」といっていいか。この認知症に関して、いろいろと書きたいことがあるし、実際、同じ環境にいた方(いる方)と「愚痴」や「思い」や「情報交換」をしてみたい思いがあるが、今回は書かないでおこう。また、書きたい気持ちになったとき、書く機会が起きたとき、書いてみたい。
父に関してわたしの視点から総合すると、わたしにとって「手本となる人生」を示してくれなかった。もちろん、わたしはこの世の中に生まれてきてよかった、幸せだと思っているし、わたしがこの世の中にいるのは「父」と「母」がいてくれたからなので、その意味では「最大限の感謝」であるがそれ以外には、どうだったのだろう……。ここを見つめすぎると、書いてはいけないことを公の場所に残してしまいそうになるので、書かないように(考えないように)する。
「人生の手本」としては参考にしようとは思わないが、「寿命の手本」としては参考にしようと考えた。
わたしは、今年55歳。父が心も体も頭も健康体でいられたのが75歳。
そう。あと20年である。
もちろん、それよりも短い命かもしれない。長い命かもしれない。
ただ、原稿の締切のように◯月◯日と決まっているわけではないので、目安と考えると今後の自分の生き方を考えられるのではないか。そう思った。
となると、10年と10年
と考えると、あと10年で65歳。わたしがこのままの職業を続けられたとすれば定年退職の年齢である。
そして、その後10年。
つまりは、仕事で10年、何をするか、何を残すか、どんな活動をするか。
最後の10年でどんな人生を過ごすか。
楽しい事しかしたくない
結果、「楽しい事しかしたくない」「楽しいことだけしていきたい」である。
もちろん、世の中自分一人で生きているわけではないので、様々な人と関わる中で、組織の一員として過ごしていく中で、must(やらなければならないこと、ねばならないこと)はあるだろう。それはそれ、しっかりと受け入れつつ、責任を果たしつつ、生活しながら、「自己選択」できる部分に関しては「楽しいことだけをしていきたい」である。
「楽しいことだけをしていく」ということは「強みを生かしていく」ということだろう。
ここで立ち止まる。
「はて?わたしの強みとは何なのか?」
他者にとっては苦痛、難儀、面倒なことであってもわたしにとってはそのように感じないもの(こと)とは何か
長時間それをし続けていても、嫌だと思わないことは何か
時間ができてしまうとつい、「考えてしまうこと」「取り組んでしまうこと」は何か
正直、それがイマイチわからない。
つらづらと考えていこう