久々に子どもたちの前で授業をしました……
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わたしは、今年、すでに小学校教員でなくなって、3年目になります。そんな、賞味期限を過ぎてしまったわたしに、「どうしても……」というお願いがあり、いろいろとつながりでやむを得ない関係上、本日、2年ぶりくらいに小学6年生に授業を行いました。 わたしは、基本、「出前授業(といいますか、外部の人間が飛び込んで授業をすること)」は自分がするのも他者がするのも、消極派、否定派です。 基本、「うまく」授業をすることが求められて、
もし、「うまく」授業ができた場合、「そりゃあ〇〇の専門家、プロパー、が授業がするんだから当然だろう」という目で見られてしまうこと、
もし、「うまく」授業ができなかった場合、「〇〇の専門家、プロパー」でもうまくいかない授業があるんだね。そういうことなら、ここから学べないと思われてしまうこと
つまり、現場の先生方の「学び」につながるという意味では、互いに(授業する自分も、授業を参観する先生方も)「学び」の費用対効果はとても低いのではないかということ
結局は、この授業を行うことで、準備や教材研究をすることを通して、一番の学びは「出前授業」をする自分になり、すでに授業実践者でなくなっているわたしにとってそんなに望んでいる位置ではないこと(まぁ、「授業が上手い」大学人といわれたら、自分的にはかっこいいかもしれませんが、それをわたしは望みません。自分は授業実践の中心にいる人間ではもはやありませんから)
日常の連続ではなく、非日常の中に出前授業者がポンと1時間分だけ、入って授業をすることになり、「イベント授業」として見られ、こちらで一生懸命準備した意味がなくなることが多いこと。かつ、確かに、「イベント授業」のようになってしまいがちになること(これは、わたしの技量が低いからこその結果かも知れませんが) などなどからです。
とはいっても、
わたしの内にあるもので、
わたしのスキル的にできることで、
出前授業を行う学校で日常で行っていることの連続の中にあることが分かっていて、
スキル的なものを間近で見て、(うまくいくとか、うまくいかないとかという観点ではなく)わたしの(ダラダラな授業から)学ぼうとしておられて、
今後、その日常につなげていこうと思っていて、
文字通り、イメージできない困難の中にあるから、ちょっとでもイメージできるものを目の前で見てみたい
と、思われている、同じ方向性の矢印の上にいるのであれば、わたしが得るもの以上に、みなさんに提供できるかもしれないので、(実践者としての賞味期限は過ぎてしまっていますが……苦笑)チャレンジしないでもないです。それが今回でした。つまり、わたしが「出前授業」をするのを「嫌です」と言えない様々なものが繋がったということですね。
でも、やっぱり、とってもレアです。わたしの授業なんて、もう、過去のものですからね。
授業そのものについて
授業は、大判のホワイトボードを有効に活用した授業を見てみたいという話でした。大判のホワイトボードは、単純に書くだけでは単なる落書きになりますし、いきなり授業を始めるのは無理です。
その前に、ペアでのコミュニケーションだったり、互いに傾聴できることだったり、しっかり「聴きながら書く」という行為ができているかどうかということが前提で、初めてできることですが、それがある程度クリアできているようだという話でしたので、「じゃあ、子どもたちに任せれば45分過ごすことができるだろう」という見立てのもと、授業に入りました。
結果、子どもたちは生き生きとホワイトボードに書くことができました。うーん、久々に、「授業はおもしろいなぁ」という感覚を得ました(だからといって、今後、簡単に出前授業はしませんよ……苦笑)。
その後、先生方と話し合いを持ったのですが、みなさん、「話し合い活動を積極的に展開する授業をしようとしていて」「ホワイトボードをその重要なツールとして考えてみようと思っている」らしく、「今回の授業をヒントにいろいろと試行錯誤していきたい」と思っていらっしゃるようで、少しは、力になれたかもしれないと思いました(錯覚かもしれませんが)。
それが本当かどうかは、今後、この学校の授業研究がどういう感じなのかを観察していくことでわかることでしょう。
もちろん、わたしの今回の授業が参考にならなかったら、取り入れなくて全然構わないのですけどね。
校長先生が、一つ一つ、受容的にご自身の疑問やこだわりをわたしにぶつけてくださいました。とても親和的な会話ができました。感謝です。