上越教育大学教職デザインコース第7回卒業研究発表会
https://gyazo.com/ce14514b368eb7feb4b54c87c294ce53
学部4年生にとっての最後の山です。
わたしにとっては、自分が大学人となって、初めての4年生です。
研究そのものは、卒業論文という形で、すでに提出してしまっていますから、この数日は、その研究内容を与えられた時間でいかに聞き手に自分のやってきたこと、主張したいことを伝わるようにするかというところに腐心しました。 「腐心」というと、ものすごいことをしたように思っていますが、実際に腐心したのは、本人と院生、学部生たちでして。そこでのやりとり、互いにいろいろと学びになっただろうなと思います。
『学び合い』という名称を使う必要はありませんよね。
講義では、わかったつもりになることはできても、本当に「わかる」「できる」ことにはなりません。それが実現するためには、実際にやることが必要で、わたしが前面に立って、話す必要はないというか、話し続けることは百害あって一利なしということです。
今回の発表に向けて、ゼミ全体では2回ほど、発表練習する機会がありました。
その度ごとに、しっかりと取り入れて受け入れて変更、改善していく学生さんの姿がとても柔軟ですばらしかったですね。
これって、アドバイスする側の柔軟さも必要です。
アドバイする自分の考え方、技術が「(絶対的に)正しい」から、聞き入れなさい、聞き入れるべき、聞き入れなければならない。
という理屈で話を進めてしまうと、まぁ、見た目はその言われたことを取りれたようになるかもしれませんが、本人が納得したものではないために、「腑に落ちた」感がないままに発表することになります。
今回の学生さんは、誰からも強制、されていないのに、自然に自分の発表の中に入れ込んでいました。すごいなぁ。
自分がまだまだだと思い、どうにかしたいと思っていたことに、それぞれの院生やその他の方々からのアドバイスがうまくフィットしたということもあるでしょう。それに加えて、互いに対等でのやりとりがあったことが思い浮かびます。
なんだか、何もしないまま、卒業研究発表会が終わってしまいました。
4月当初、わたし自身の中で、どのようにして卒業研究発表まで導いていいかわからない感覚で、卒業研究発表のことを思うと、胸がドキドキだったのですが、なんとか終わってホッとしています。
学生さんが、少しでも成就感があるといいのですが、それは、本人にしかわかりません。