ビバ!東北青年塾!
それぞれの熱い振り返り、感想が載っています。ぜひお読みください。
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考えてみれば、第1回東北青年塾から、しっかりと足跡を残しての59回です。やりっぱなしではなく、やったことを記録に残そうとその都度、「告知」と「振り返り」を残してきました。(ちょっと、記録やリンクがねじれているところが若干ありますが)。 単純なイベント型のサークルにしたくない。
当事者意識を持ちたい。
だから、「東北青年塾生」という形で「塾生」は単純に会に参加するだけでなく、会を企画、運営、そして自分も講師役等々それぞれを経験していこう、ということから始まりました。
東北青年塾に参加していた方々は、会を企画運営するということを通して、つまり、当事者になることを通していろんなことを学べたと思います。
まぁ、一番学んだのは私ですけどね。
自分が、東北青年塾に一生懸命だった頃は、夏に次年度の東北青年塾の月日を全て拾って、夏の間に、各講師候補を挙げて、そして、依頼するということをしていました。
途中からは、テーマを設定して、この年は○○をテーマ(例えばファシリテーション)にして学んでいこう、だったら、この方から、この方から学びたい。で、自分たちはこんなことをしよう……という感じで進めていました。
まぁ、自分が、ほぼ100%東北青年塾に自分の「学び」のほとんどを捧げていたからこそできたことでしょう。
途中、わたしは東北青年塾に飽きたのではなく、東北青年塾を私物化しないで、どうにか組織化できないかと思い始めます。そのためには、わたしが東北青年塾の代表から下りることが一番だと思うわけです。だいたいが、代替わりがうまくできずに、陳腐化していく組織が多いですものね。
だから、そんなにすごいものではないものの、うまく、東北地方の一組織として細々でもいいから続けることができたら素敵だなと思ってわたしは代表から下りました。
今思うとね、(今更言っても仕方ないんだけど)今思うと……、このとき、ちゃんと、わたしが組織から抜けていればよかったのかなと思います。単なる一メンバーになりますと宣言して、東北青年塾に居続けました。これが、どうだったのだろうか……とちょっぴり反省しています。
もちろん、代表から下りたにもかかわらず偉そうにしていたら(つまり、院政を敷いていたら)アホらしいので、一参加者になった瞬間、わたしは、物言わぬ一参加者になっていました(というつもりです)。でもね、やっぱり、存在を消すのではなく、そこに存在すべきじゃなかったよなぁと思うわけです。
まぁ、そういう意味でも、いろいろと学びましたね。
人間同様、組織も老人化します。
自分の批判は直接耳にしないのと同じで、遠回りに、「東北青年塾は敷居が高い」という感じの噂があるらしいことを耳にしました。
東北青年塾メンバーにもいろいろな考え方があるので、一定の敷居を高くすることで、学びの質を上げたいという人もいたかもしれません。わたしはね……そんなことどうでもよいんだなぁ……。
敷居なんてどうでも良くて、「学びたい」と思う人が、学べる場を提供したかった……。
私自身が、協働的な学びが苦手だったり、いろんな人に気楽に話かけれられなかったりするので、なかなかそこがね、うまく回転かな、転回かな、しなかったのだろうと反省します。
さて、次です。
この学びを、次に生かします。
自分の今いる場所から、今興味を持っていることから、今一緒に進める人から、かかわって新しい場づくりです。
次なるチャレンジへ!!!
ゴーッ!!