トレンドと自分のこだわりと
https://1.bp.blogspot.com/-4eynkC7wZ5Y/WCEqEq6bJoI/AAAAAAAA_ag/NceH23P7Fjcy1Q0_xC_hT0lqLgeSUO3OwCLcB/s450/fashion_flapper.png
(上のイラストは「いらすとや」で「流行」で検索して出てきた画像の一つ) 「働き方改革」がその一端だと思いますが、「学校教育」に関して、一般の人だけでなく教育に関わる人間でも「学校のしくみ」とか「学校の役割」だとか「学校とは一体なんぞや」という感じの話題、論調にのっかって話をすることが多くなってきているように感じます。もちろん、この部分に関わる方々にとっては、「仕事」であり、「トレンド」でもなんでもなく自分の「今」だと思います。 しかし、わたしが教員になった頃(具体的には平成元年の頃)には、こういった話題、つまり「学校のしくみ」「学校の役割」「学校とは一体なんぞや」などは、そこに関わる人や興味関心を持った研究者でなければ、そんなに話題になることはありませんでした。わたしも、イヴァン・イリッチの「脱学校の社会」あたりを読んでショックを受ける程度でした。 この頃(平成元年の頃)は、なんといっても授業をどうするかということに焦点が当てられていたように思います。「教育技術の法則化運動」がその最たるものでしょう。 ところが、今は、「教育とはなんぞや」「学校とはなんぞや」……という話を話すことだけに夢中になる動きがありますね。でも、違うのかな……。わたしが、現在、大学人だから、この話題が耳に入ってくるだけで、学校現場ではこういう話はしていないのでしょうか……。ここが、現場の人間でなくなっている今のわたしの弱いところ。
様々な立場、考え方があって世の中は成り立っています。
わたしは、教員養成系の大学に勤めているということからも、学生が現場に入ったとき、1時間、1日をどのようにして過ごしていいかわからない状況をどうにかたい、子ども同士のトラブルがあったときにどのように対応すべきかを一緒に考える立場でありたいと思います。
もちろん、「目の前のことを(とりあえず)どうにかしたい」ということだけを考えたとき、「手立て」が「目的化」してしまうことがありますし、今でも、相当、「なぜそうするのか」を考えずに「こうすべき」「こうするとよい」「こうするのが当たり前」というところから入っていくことがありますよね。
だから、過去の教育技術をそのまま伝えるというのではなくて、学校教育全体を捉える流れになってきている「今のトレンド」をしっかり学び、受け入れつつも、それを背景に「これこれだから、こうする」という理由、根拠、目的、目指すべき姿を言葉にできるようにした上で「手立て」を行うことを大切にしたいです。
で、「手立て」もしっかり、現場の人たちと考えて、提案して、共有したいんですよね〜。
……おそらく、上の文章、抽象的すぎて読まれても何言いたいんだか、わからないでしょうね(^0^;)。
まぁ、いいです。わたしの備忘録ですから……。