ゼミで鈴木優太さんを招いて感じたこと(その1)〜人間性を存分に発揮すること〜
https://gyazo.com/55185af04b6b7ec654ade7721a230885
最近の学校現場を見学させてもらうと,各教師の「人間性」を存分に発揮できる環境にあるところと,逆にそれを打ち消そうとしているところとに大きく分かれるなぁと感じることがあります。 各教師の人間性を打ち消すということでパッと頭に浮かぶのは「◯◯スタンダード」などと称し,教師の考える力をなくし,まるでマニュアルのごとく,それを読み上げれば進めていけるように仕組んでいくことです(別にスタンダードという名称が問題なのではなくその内容を問題にしています)。誰でもできることを目指すため,実践は平板になり,教師たちからは生気が感じ取れにくくなり義務感で仕事を行うようになります。もちろん,その教師たちから様々なことを享受する子どもたちも学校へは学ぶ楽しみというよりも,行かねばならない義務感の方が気持ちが上回ります。これは,教師の「非専門職化」への道にも通じるかもしれません。数年前に,噂にあがった「◯年後に残る職業,消える職業」のようなものに,幸いなことに教師は残っている側として紹介されることが多かったと思いますが,もし,人間性を打ち消すような動きが加速し,一定数支持を得られると,「専門職としての教師は必要ない」ということになるかもしれません。もしかすると,現場は自ら首を絞めるような動きをしているかもしれないと早く気づくべきと思います。 今後,優れたAIやロボットが開発されることを考えると,重要視されるのは「人間性」です。人(教師)と人(子どもたち)とが接する中で,「人間という感情を持った生き物だからできること」「人間という想像力,創造力を持った生き物だからできること」を背景に(武器に),学校教育に取り組んでいかないと学校は「〜せねばならないところ」という義務感でいっぱいのなんの魅力もないところになります。 今回,ゼミで特別講義をしてくださった鈴木優太さんの話を聞いていく中で,優太さんが一つ一つの自身が用いている「教室ギア」の話をあまりにも楽しそうにする姿を見て感じました。 「あっ,そうか。このぶっちゃけ感が足りないんだな」
と。
豊かな感情の起伏、そして、想像と創造です。
自身の教育観をもとに、目の前の子どもたちを重ね合わせ、自身のアイデアから生まれた、または、先人のアイデアをお借りして更なる修正を加えた「教室ギア」なるものを学級の中で展開していく様子を語るときの優太さんの楽しそうな様子といったらものすごいです(笑)。エピソード満載での話ですから、当事者でもないのにこちらまで笑顔になってきます。 もちろん、優太さんの話は練りに練られていて、エピソードに加え、現場経験の乏しい学生が頭の中でイメージしやすいように実際の映像や画像で紹介していきます。この実践の様子の蓄積もすごいですね。今回、私達に紹介するために蓄積したというより(第何次利用の結果という感じで私達に紹介できたわけですが)、子どもたちにフィードバックするため、保護者への説明のため、自分の教育実践研究のまとめなどのためと様々に使えるように意識して保存しているわけです。 さすがです。
学生たちは日々、真面目に学習しています。そして、教育実習や学校実習等で学校現場に関わり、自分なりに学校教育の諸々を解釈しています。この時、学習指導要領や教科書、各学校のきまり(校則など)を生真面目に文面通り読み取り受け入れるだけでなく、また、自分の教育観に相容れない時は単純に否定するようなことをせず、「人間性」を通して解釈し、発展させていってほしいなぁと優太さんの講義を受けていて考えました。 わたしが感じたこと、多くの学生にも伝わっているのではないかなぁ、伝わっていてほしいなぁと思っています。