なるほどなぁ……眼の前の子どもたちをどうにかしたいもんなぁ〜学部生の読書報告から思う
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現在、3年生は自分の卒論につながる(かもしれない)興味ある教育に関係する書籍を読んでみんなに報告することになっている。
今回担当した学生は、とても積極的で、書店を三店巡り、自分の感覚で「これだ!」というものを見つけ、自分が気になるところに折り目をつけたり、ラインを引っ張ったりしてきた。彼には珍しいほど、熱くみんなの前で語ってみせた。がんばったなぁ。すごいなぁとおもった。
2週間後に観察実習があり、秋には本実習があるということで、そのことに合わせて(それとも結果的にそうだったのかもしれないが)、実践的な書籍を選んできた。いわゆる教育書である。
彼が、熱く語る一方で、わたしは脳の片隅で、もう一つ、どのように話そうか、語ろうか、示そうか、そして、自分自身受け止めようかと考えていた。
なぜか。
彼が選んできた書籍は、(繰り返すが)(書籍名は書かないが)いわゆる教育書である。
彼は一生懸命、自分が読んで感銘を受けた、教師の態度や技術や考え方を話していくが、わたしにとっては既知のことであり、わたしが知った経緯は、彼が読んできた本の著者(生年月日を確かめると三十代半ばの若手リーダー的な位置づけになるのかな)が主張したり、述べたりしたことではなく、随分前の教育書からである。
うーん。彼の発表を聞きながら悩んだ。
「教育書」ってなんなんだろうか……って。
「ちょっと見せて」
といって彼が参考にしている本の実際を見せてもらい、パラパラとページをめくる。
なんと、引用文献、参考文献が一つもない。
どういうことなのだろうか……。
自分の経験から生み出したものや、自分の周囲の諸先輩から指導していただいたもの等々を少し自分なりに整理して書き示したということなのだろうか……。
わたし自身、研究者と自ら名乗ることができない、下の下の研究実践者であるが、それでも、書籍原稿を書くとき、雑誌原稿を書くとき、自分が行おうとしていること、行ってきたこと、は当たり前に先人達が全く同じか、同じような意図をもって取り組んできたことがあるに違いないという考えのもと、先行文献、先行実践を調べて、可能な限りあたって示すようにしている。
それがない……。
結果……。わたしが書いた本や、わたしの原稿が載っている書籍や雑誌よりも売れている……苦笑。
ハハハ。
学生に言わせると、引用文献や参考文献がついていると、一気に難しい書籍という感覚になり、手を伸ばしたくなくなるのだそうだ。
そうなのかぁ……。
わたしなんか、逆だけどねぇ……。
その書籍で紹介してある考え方や実践を知ると(つまり、引用文献や参考文献があると)、おおもとの本にはたった1行くらいしか関連したことが書いていないかもしれなくても、ワクワクしてその本をAmazonでポチッと押してしまう(つまり、購入してしまう)ときがあるけどねぇ……。
うーん、どうなんだろうか。
学部ゼミで、本日担当の彼が興味深い本を読んで、紹介してくれたおかげで、わたしの興味関心では絶対に手を出さないであろう本にふれることができた。感謝したい。
そして、これから教師を育てていくという立場にいるわたしは、今後どのように考えていったらいいのかという悩む契機をもらったように思う。
しばし、考えたい。