ちゃんと自分はおじいちゃんなんだと認識して立ち居振る舞いをすること
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群馬に就職する学生がいて,群馬で有名なものは何かなぁ〜という話になった。
草津温泉などがでて,富岡製糸工場の名前が出た。
その時,わたしの口から
「あゝ野麦峠だねぇ〜」
といった瞬間,学生たちがポカ〜ンとわたしを見た。
「なななな,なんすか?それ?」
ということなのである。
そこで,わたしは製糸工場で働いた女工の話をダラダラとしたのだが,どうもしっくり伝わった感じがしない。
で,ちょっと時代背景,ドラマカラーが似ているという意味で少し寄せて話そうと思って,
「おしん,というドラマあったでしょ」
と尋ねると
「あ〜,聞いたことはあります」
となり,
「朝の連続テレビ小説って見ないかな」
「はい,見ません」
である。
(ちなみに,話題にしただけであって,わたしも朝の連続テレビ小説を自分の意思で見たことはない。テレビのある部屋で写っていたから1,2話程度見たことはあるけれど)
* 後で,検索してみたら「野麦峠」というのは諏訪盆地が舞台で,この峠そのものは長野と岐阜の県境あたりにあるらしいですね。群馬や富岡製糸工場とは関係ありませんでした。すみません。
まぁ,そんなもんだ。
その後,仮面ライダーとプリキュア,戦隊モノと,鬼滅の刃,進撃の巨人で盛り上がったけれど……。
人間はなかなか自分を客観視できない。そして,都合良くできていて,大方,35歳あたりをすぎると,毎年年令を重ねて自分は◯歳なのだとわかっているけれども,なんとな〜く,35〜40歳程度の精神年齢で頭の中は止まっていないだろうか。わたしは,なんとな〜くそんな気がする。それは自分の中だけの問題であって,実際は見た目はちゃんと40,50,55歳と代わっているわけでさ。
話があっちこっちに飛ぶけど……。
自分が新採用で勤務した学校の教務主任は,当時58歳(わたしが教員2年めを終えた時,定年退職をしたのでそう予想)。白髪で恰幅がよく,いつも「わっはっはっは」と職員室内で声をひびかせていた。とにかく達筆で,ほぼ全学級の書写を担当していたのではないか。もちろん,卒業証書を含め,毛筆で書かねばならない仕事(今よりも何倍も多かった)は全て引き受けていた。いつも筆を持ち歩いていたことが印象的である。
全校生徒1000人のマンモス校だったので,教員だけでも40名以上いて,そんなに会話をした回数はないのだけれど,自分が初任者ということで,その時々にお世話になった。
会話をしていると,近所にいる「おじいちゃん」と話をしている感覚だった。
実際,職員室内でのこの方の雑談の多くは「孫がこうしたああした」「孫にこうしてもらったああしてもらった」という話ばかりだったことを覚えている。そのエピソードが,この方の明るくてユーモラスな雰囲気とからまってなかなかおもしろく,放課後,みんなで爆笑していたことがよい思い出だ。
さて,わたしは今年の誕生日で56歳を迎える。
そうなんだよね。
初任者から見れば,(学生したらもっともっと年齢が離れるから)「おじいちゃん」なのよ。
実際,30歳を越える娘が3人もいるわけで,偶然,孫が生まれていないからだれもわたしを「おじいちゃん」と実質,呼ぶ人はいないけどさ……。おじいちゃんなのよ……苦笑。
だからなんだということではないけどさ,ちゃんと自分を見ようと思った。
もちろん,当時と今では高齢者の感覚が自分的にも他者的にもかわってきているかもしれない。
高齢者が多くなりわたしの年齢に近い方々がまだまだ元気で,世の中的にはマジョリティだからそう感じない,口に出せないのかもしれない。
特に,大学という空間は基本,高齢者(の先生)が多く,わたし自身若い感覚でいる感じに陥りそう。
でも,学生から見たら,めちゃくちゃ年が離れた人間なの。
だからなんだということではないけどさ。
なにかあると,わざわざ(一緒にどうですかと)声をかけてくれる学生に感謝。
ちょっとした振る舞いや一言が学生たち年下に対してパワハラになる可能性があるからいつもいつも気をつけよう
だから,基本,自分の話をするのではなく,聽き手として過ごしていこう。
幸い,(少しは成長したのか)若い頃と違って「自分が自分が!!」という自分はほとんどいなくなった。
自分のことを話したいとも思わなくなった。
よき聴き手として過ごせますように。