「自分の好き、こだわり、強み」を授業に持ってくるときのセンス
https://gyazo.com/f4b68083bf4f081b111aadaae806a5a5
学部2年生には、あいかわらず「自分の好き、こだわり、強み」を全面だししてもらう授業を続けております。
今日もめちゃくちゃおもしろかった。
ドラマなどが好きで、その登場人物の性格やキャラクター、背景を読み取ったり、感じ取ったりして、それを客観的に見つめたり、または実生活の場合は、そうして全体を俯瞰した後、自分はどんな立ち居振る舞いをすることでチームやその集団に貢献できるかをいつも考えているという授業者。
そういえば、普段、この授業者の学生が授業者でない時(つまり、一参加者であるとき)の「笑顔」がとても印象に残っていました。いつも笑顔だし、まわりの振る舞いその他に対して、うんうんうなずいて勇気づけている様子が頭に残っていました。なるほど、そういうところにつながっているのか。
無差別に裏返しした、首にぶら下げられる大きなカードを各自にわたしていきました。
そこには、「ユーモアのある◯◯さん」「思いやりのある◯◯さん」「決断力のある◯◯さん」「……」とか板あり、白紙のカードも一つありました。「◯◯さん」の「◯◯」には渡された本人の名前を書くように指示しました。
このカードの右上に「1」と「2」が書いてあり、自然に1班と2班に分かれるようになっています。
つまり、「ユーモアのある◯◯さん」というカードは2枚あって1班の人と2班の人にわかれるわけですね。
そこで、短時間でその性格を活かした劇をつくってもらい演じるという課題を出します。条件は以下の通り
全員がその特徴を活かした言動を劇の中で出すこと
全員が必ず一度はセリフを言うこと
白紙のカードを持っている人は劇づくりの最中、みんなで話し合って改めて「◯◯な◯◯さん」という一人の特徴を生み出すこと
そういえば、この授業の中で今年は「劇を作る」ということがよく出てきます。そして、彼らはそれらを楽しく行います。そういう世代なんですね。
話し合い過程もとても興味深くて、今までの話し合い過程だと4人前後の班をつくって話し合うことが多かったのですが、この授業者は意図的なのか全体を2つに分けたので、一つの班が約10名近くなるわけです。話し合いって、10人ってしにくいじゃないですか。フリーライダー(ただのり)が登場するのも無理ない話です。しかし、この学生さんたちの特徴なのか、フリーライダーは無し。みんな、それぞれに同じ程度で発言をし、話し合いを展開していきます。
この理由の一つは、自分がぶらさがった特徴を発して必ず劇の中で言葉を発しなければならないので、必然的に話し合いの最中でも全員に言葉がかけられ、全員が言葉をかけることになるのです。おもしろいなぁ。
さて、劇。
1つはロールプレイングゲーム的な発想。ラスボスを登場人物が自分の特徴をもって体当りし、最後に大団円となるもの
1つは給食のカレーを運んできた「おっちょこちょい」くんが途中、ザバーッとこぼしてしまい、その後、様々な特徴の子だたちがそのおっちょこちょいくんを囲んでいろいろとお世話しだすという話。
10分もない話し合いの時間で、よくぞここまで作り上げた感じ。
彼ら(学部2年生)は、普通に「インプロ」という言葉を使っています。
どこでどのように知ったのかな?体験したのかな?いつか時間をとって聞いてみよう。
https://gyazo.com/970fa2dd6d266314d9121bbddda1313e
上の写真は、また別な授業。
これも、「絶叫マシーン」大好きという授業者による、様々なしかけがありました。
どちらも、「元ネタ」のようなものはなしで、自分で自分の「好き、強み、こだわり」を教室空間の中に自分の気に入る形で学習者に体験してもらおうと思ったらこんな形になったとのこと。
それそれそれそれ!!!!
でも、結果的に日常の授業の中で見られるような、あんなことやそんなことが自然に散りばめられているのですよね。
鶏が先か卵が先かという論議はともかく、自分の中にある熱いもの、これをしっかりもって授業にあたっていくのって、「先生になる」ということよりも「先生であり続ける」ことが難しい今の時代にとって大切のように思います。
本当のこと言えば、授業後に、授業者にもっともっと深く突っ込んでいろんなことを聞き出したいのだけれど、つまり、リフレクションを授業と同じくらい大切に扱いたいのだけれど、うれしいことに受講者が多くて、授業を行うことの方に比重が大きくなり、丁寧にリフレクションができないでいます。
このあたり、わたしの「授業デザイン」の課題です。どうしようかなぁ〜。