感想「i アイ」
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著者 西加奈子
実務書、実践書以外、つまり、小説で読む分野といえば、わたしは「推理小説」「ミステリ小説」か「歴史小説(伝記もの)」のどちらかだった。それ以外のものには興味関心を持つことができない人間だったが、最近、少し興味関心が変わってきたように思う。
感想「国宝 上 青春篇」「国宝 下 花道篇」なんかが特にそうだが、日常生活を通して人の心の描写をしていく作品をやっとこさ読めるようになってきた、というか面白いと思えるようになってきた。ちょっとは「人間味」をもつことができてきているということなのだろうか。
特に最近は「推理小説」に手が伸びなくなってしまった。謎を解くためには、まず「誰かが誰かを殺す」という行為をするわけだけれども、物語上のこととはいえ、そんなに簡単に人を殺してしまうとはね……って、こういう類の小説をウン十年も楽しんできたわけだからなんとも言えない。まぁ、あと何年かしたらまた推理小説に戻ってくるとは思う。なんといっても、定年退職したら東野圭吾さんの小説をすべて一気読みすることが夢なのだから。
そこで、昨日、なんとはなしに入った書店。
新年度に入れ替わる前に、何冊か気持ちをフラットにするために読んでおこうかなぁと思って文庫本コーナーを見てみた。
推理小説ではない分野を見ると……。うれしいことに、わたしは事前情報を持ち合わせていないので、知らない作家さんばかりだ。どれにしようかな……と。
で、本書が目に飛び込んできた。
で、一気読み。
自分のなんとなくの感覚で買った本でしたけど、いい本でした。ナイス選書眼!!
わたしはこの年令まで、なんとはなしにぽんにゃりとほんわかと生きてくることができた。そして自分の生きてきた環境は少数はではなく多数派の中で生きてきていて、その住んでいる環境では「当たり前」をそのまま享受して生きてきた。
この主人公のアイのように、こうした自分のもともとの「ルーツ」をいつでもどこでも揺さぶられるような立ち位置で考えたことがない。
主人公、アイは、シリア人で、養子で、父はアメリカ人で母は日本人。
シリア人の多くは貧困のさなかにいて、かつ、内乱等で当たり前のように毎日何人かが死んでいく……。
でも、なぜかわたしは優しい父母のもと、しかも一般社会から見ても裕福な生活を過ごすことができて……。でも、見た目は中東の顔つき、体つき……。
いつも「自分とは」
問いかけられるだろうね。
ちょうど、2日前、NHKの「BS1スペシャル」を見たときの感想と紹介に以下のような文章を書いた。
語ると長くなるから多くを語らないけれど、何かあるとわたしの目の前に現れる言葉。「(ちょっとした)想像力。それを鍛えること」それが「人間力」。今まさに、人間力が試されている。‬
これもよい番組だった。
あべたかのフェイスブック投稿より(https://www.facebook.com/iabetaka/posts/3718296821545141)
この本でも奇しくも「想像」という言葉が要所要所で出てくる。
ちょうど、わたしが狙ってこの本を買ったみたいだ。
そこで紹介され、引用されているのが「Reading Lolita in Teheran(テヘランでロリータを読む)」である。この本は1979年革命当時の対イラク戦争を経たイラン、抑圧されたイスラム世界の中で秘密の読書会を開いた真実の記録という。当時、西洋の文学は発禁処分を受けているので、読書会をしていることを知られたら死を意味するものだったという。その中の一節。
読者よ、どうか私たちの姿を想像していただきたい。そうでなければ、私たちは本当には存在しない。歳月と政治の暴虐に抗して、私たち自身さえときに想像する勇気がなかった私たちの姿を想像してほしい。もっとも私的な、秘密の瞬間に、人生のごくありふれた場面にいる私たちを、音楽を聴き、恋に落ち、木陰の道を歩いている私たちを、あるいは、テヘランで『ロリータ』を読んでいる私たちを。それから、今度はそれらすべてを奪われ、地下に追いやられたわたしたちを想像してほしい。
本書「i アイ」は言う。
自分の想像力には限界がある。それはたしかだ。でも、だからといってその努力を放棄するのは間違っている。
私自身の想像力は貧困だけれども、想像する努力を続けようと思う。
AIは、予想はできるけれども、想像はできない。
想像は人間だけが持っている能力だ。いわば、人間力だ。
想像を用いなくなっている人間が増えてきていないか。
#感想 #★★★★★ #i #読書
2020/03/29