📝合意形成について
たまたまtwitterで見かけて読んでたYudai.icon
その中でいくつか同意とともに違和感があったからコメントしてみる
合意形成に参加するステークホルダーの種別とインセンティブ構造が不明瞭なまま実装しようとしているのはなぜ?「集合知」とか「大規模な熟議プラットフォーム」とか以前の問題として、そもそも論で合意形成の場に参加する人のインセンティブが何なのか?全員が参加しないといけないのか?一部でよいとしたらその一部を定める基準は何なのか?が明確ではない
ちょっと思ったのは合意形成の場に参加するためにインセンティブが必要ならば、今の投票に参加しない人はインセンティブがないためとなっているのだろうか?Yudai.icon
これはただただインセンティブってのが何かを得ることができないって意味合いなのかな?
例えば今僕たちが参加したとしても、多数決で必ず勝てないってことが言いたいならば同意Yudai.icon
じゃあこれはインセンティブ構造がなったとしても、最終的に勝てないため変わらない気もする
ブロックチェーンや分散システムでいうインセンティブ構造ならば、そもそも論その構造がないならば政治に参加しないならば、果たしてそれは民意と言えるのだろうか?
もしかしたら初めの方に書いてあるように「認知」が足りないだけなのかもしれないし、一概にインセンティブ構造で解決できる or 得たいアウトプットが出るとはあまり思わない
また、会社が評価するからOSSにコミットするってことにメタ的には同じだと思った
また一部を定める基準についてもなめ敵とかでも確か委任投票などもあったよねYudai.icon
その基準自体も私たちの民意が表現できるようにしたいYudai.icon
そもそも論で「大規模」な民主主義である必要性はデジタルを使ったとしてもないのでは?
何度かか「大規模」って言葉に対しての批判のようなものを感じたけど、大規模の規模は確かに気にはなるYudai.icon
ある意味「社会ってどこまでがあなたが指している社会ですか」って質問に近いんかな?
ただ一方で初めから大規模で捉えるのではなく、小規模や地方だけで良いっていうのは違うようにも思う。(著者もポジショントークとは言っていたが)
結局それは分断を生み出し、サイロ化するだけでは?って思う
Pluralityって言葉に立ち返ると、分断が悪いとはもちろん言っていないがその上で、お互いが認め合い、そこで初めて、コミュニケーションができるってこととなるYudai.icon そのためのツールを開発しよう、技術を使おうって解釈をしているYudai.icon
Glenも言っていたが、多様的に参加可能にするのがテクノロジー
もちろん書いてあるように、みんなが参加している前提になっているってのもそうYudai.icon
故に啓蒙が必要であり、認知が必要であり、手を動かさないといけないってことを伝えたいのではないか?と思う
去年の夏、FtC Tokyoの時にGlenとAUと一緒にいろんなところ回ってた時の車内で「あなたたちはハッカーでもっと新しいことしているイメージだけど、技術わかってないしやるかどうかもわからない儀式性にアイドルとして出てていいの?」と聞いたことがあった。
そこで、『Taka, それは違うんだ。人はロゴス・パトス・エトスで動くから、それだけじゃダメなんだ。なので俺たちはアイドルに徹して、Takaみたいなやってる奴らがうまく使えばいい』って言われて、畏怖の念。
このツイートを見かけたのを思い出すYudai.icon
ちょっと思ったのがこのnoteで1番言いたいことは、結局のところ自分たちは手を動かしても、他は動かない人は動かないから、見放した方が良くないか?にも聞こえなくもないYudai.icon
言葉を変えると自然状態を求めているようにも感じるYudai.icon もちろん自分はこの考えを批判はできないし、そう思う時もある。ただ、それではいけないと思い起こすこともある。
なんかそう考えると、質問というよりは怒りを書いているようも感じてきたYudai.icon