社会契約論
何度も見かけるようになった社会契約論(ルソー)について読み始めた(メモ)
「どうすれば共同の力のすべてをもって、それぞれの成員の人格と財産を守り、保護できる結合の形式を見出すことができるだろうか。この結合において、各人は全ての人と結びつきながら、しかも自分にしか服従せず、それ以前と同じように自由であり続けることができなければならない」
= これが根本的な問題であり、これを解決するのが社会契約である。 社会契約が破られるならば、各人は自分の最初の権利を取り戻すまでのことである。その時には契約によって手にした自由は喪失するが、契約を締結する時に放棄した自然の自由を回復することになる。
「社会のすべての構成員はみずからと、自らのすべての権利を、共同体の全体に譲渡するのである。」
全てを放棄することで、誰にも同じ条件が適用される。= 譲渡した権利と同じ権利を契約によって受け取る。
= 「我々のすべての人格と全ての力を、一般意志の最高の指導のもとに委ねる。全員がそれぞれの成員を全体は不可欠な一部としてうけとるものである。」 この結合の行為は契約者に特殊な人格の代わりに、集団的な一つの団体を直ちに作り出す。 投票する権利のある人数と一致する。
その統一と共同の自我と、生命と、その意思をうけとる。
構成員は集合的には人民、主権に参加する者として市民、国家の法律に従う者として国民 自然状態 => 社会状態
この変化により、
人間はそれまで本能的な欲望によって行動していたのだが、これからは正義に基づいて、行動することになり、人間の行動にそこまで欠けていた道徳性が与えられる。 自然状態は独立(孤独って言葉の方が近いかも?)しているが、社会状態では共同体になる事により利益が享受できる 能力は訓練され、思考の幅は広がり、感情は高貴なものとなり、魂の全体が高められる
自然状態: 手に入れることができるものならなんでも自分のものにすることができる無制限の権利
社会契約: 社会的な自由、所有している全てのものに対する所有権
= 一般意思による制約を受け取る。
これ「俺のものは俺のもの、みんなのものは俺のもの」ではないってことっぽいYudai.icon
つまり他の人のものを貰うには交渉する必要がある
国を批判して自由を求めるって自然状態になるってこと?
自由を求めるために国を作るって言われる意味が分かるYudai.icon
自然状態は「安全」がない?孤独?
結構僕たちが考える自由って自然状態目指したりしてない?
主権の概念: 「一般意志の行使」
一般意志: 共同の利益だけを目的とする
全体意思: 私的な利益を目指すものに過ぎず、たんに全員の個別意志が一致したに過ぎない
全体意思としてではなく一般意志として考えるためにDecentralizedが必要なのかもしれない
人民が十分な情報を持って議論を尽くし、互いに前もって根回ししていなければ....
これ繋がりによって○○が入れるからって生まれるかも?と思った
そうなると横のつながりが必要ない => 社会とは?wYudai.icon
絶対違うわ
10(変数)で1を作っていくイメージ = Destributed
Allで1を作る?
一般意志を高めるためにDecentralizedの世界が必要