元は最小単位ではない
@Mametaとの議論
社会は個人の集合体ではない。個人がいて世界があるわけではない。家族や地域、職場などの人間関係の三角形がいくつも重なった中間集団が幾つも存在し、社会はそれらがさらに重なることで成立している。- @たか氏のPravate scrapbox これにより個体と集合体と社会を捉えていたがパラダイムシフトが起きた。Yudai.icon
そしてその中間集団は複雑
Plurality三角形の頂点同士を近づける事中間集団の距離の度合いでは?mameta.icon 中間集団が密になればなるほど多元的と言える
つまり遠い中間集団同士の距離をお互いに近づける必要があるとそれはより多元的であるという表現ができるのでは
現状より多元的になる可能性があるってこと?Yudai.icon
距離を近づけた最終的な集合体が現状よりいいPluralityではないか?
改善の余地があるPlulalityがあるって考えている(表現としていいかは別)
断片的に捉えられている中間集団は繋がっているのではないか?Yudai.icon
繋がっていると捉える事だと思う
Pluralityを数式で表す試み
N = {A(a,b,c), B(a,b,c), ....X(a,b,c)}
N= Plualityを示す
A= 中間集団
a,b... = 人間 ⏩ Aが1人の人間でa, b, cは1人の人間の中にあるspaceの認識だったmameta.icon
人間の中の空間は含まれないって結論じゃなかったです?
Pluralityが1つの意思で変えられないことを示しているのであれば、空間は含まれないと思ってたYudai.icon
結構簡単な集合に当てはめることは出来そう
注意しないといけないのは「A」って単位はとても複雑。
AとBの関係を表せていないから微妙mameta.icon
複雑= 変数?Yudai.icon
「この場合の元はどれなのか?」
元に対して一旦このように考えている。
ちなみに元って最小単位を表しているようにも感じる?
いや、元 = 最小単位って捉えるのは違う(ここ重要すぎ)Yudai.icon*2
元 = 独立している捉えるべきだ
「a: 人間」が最小単位になるから元と言える。 => 元素と言えるし、元ともいえる。※中間集団は元と言える。
中間集団 = 三角形と定義づける場合、Aを形成するのは容易だけど、AとBの関係はA(a)とB(b)の関係によって形成されるから複雑すぎる。
人間の中が制御するという事は人間の中身の元を表している
無数のプライベート空間を接続が可能
この空間は「1つの要素」 or 「複数の要素」から作成される
1つの要素からなるものを空間と呼べるのか?は一時休戦
点線はシステム的な繋がりを表していて、実線はユーザーの意思を表しているYudai.icon
初めから空間同士は繋がっているって考え方は面白い
このシステム的な繋がりって、いまいち難しい
初めから繋がっているって表現だと、「通信する」「接続する」って言葉がよく分からなくなりそうwYudai.icon
スマホとスマホは通信できる状態を繋がっていると言えるか?
この空間は異なる公開鍵で区切られているとする
これは初めから繋がっていると言えるのか?とも言えそう
全員の空間が繋がっているとも言えちゃうくない?Yudai.icon
ユーザーの選択によって接続するか否かが選択可能である
ユーザーの選択が可能であるが重要で、プラットフォームや企業、サービス提供者はユーザーに接続してもらえるように動くことになるのではないか(仮説)
「異なるエンティティが制御する空間を自由に移動できる世界が実現すると「データの提供」がされないプラットフォームは恩恵を受けられない」
そしてデータの移動は人間の意思によって選択が行われる。
意思決定をしてもらおうと動く(はず?)
社会は1人の意思によって変えることは出来ない。
=> つまりPluralityは「1人の意思では変えられない元の集合体」なのかも?Yudai.icon
⏩「Plurality」を集合体という表現をすることに違和感 mameta.icon
今までの議論で@mametaの多元的という認識でいうと集まっている感があるが、
yudai.icon の多元的であれば状態や今ある状況をそのままの状態として捉えているイメージ。
つまり何かの(又は誰かの)手を加えなくても現在の状況は、捉え方によってはすでに多元的になりうるものであって、
それが未熟な我々人間の思考では1元的や2元的でしか捉えられていない状況がある。
集めることで集合体になっていくという何者かの手を加えて多元的を実現するのであればそれはmameta.icon んぼ行っていた多元的の表現に近い。
逆に現状は変えず、世界をそのものとして多元的に捉えることができるようになるというのがyudai.icon の多元的であるという認識。
そして@mametaは後者の多元的がより多元的という本質に近いと議論を通して考えている。なのでその視点でいうとPluralityとは「多くの異なる状態をそのまま捉えること」と言えるのではないか。
mameta.icon
Pluralityはそれぞれが認め合って協力しようぜーって感じはあるけど、協力しようぜは含まれていないかもねYudai.icon
集合体ではないってのは考えるための要素になりそう。
この違いはとても大きい。
1人の意思では変えられるか、変えられないかが境目なのかも?Yudai.icon
a holon is something that is simultaneously a whole in and of itself, as well as a part of a larger whole.
im a holon, youre a holon. denver is a holon. the world is a holon.
https://scrapbox.io/files/64074d1039df2f001c6b0163.png
PluralityもHolonsも最終的にはみんなで協力しようぜって言いたいんだろうねYudai.icon
### 後に振り返って思ったこと mameta.icon
Yudai.iconが言っている多元とはメタ的に俯瞰して捉えたもの
@mametaが言っていた多元は個々の視点にたったときの主観的な多元さ
僕たちは分割作業と結合作業をしていたらしいYudai.icon 「メモ」
https://scrapbox.io/files/63f587db135f21001ce4d09d.png
https://scrapbox.io/files/63f587af6f84e1001b3a38eb.png