2018-09-04 夏も終わりですね
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気がつけばもう9月。
そりゃそうなんですけど、もう夏も終わりですねえ。
私も35歳。人生100年とすれば、3分の1を過ぎたところですが、これからどこへ向かっていくのか。今の所、思う道を歩んでいる気もしますし、そうでもない気もしますが、とりあえず日々楽しく生きているだけで良い、という価値観でここまでやってきました。
これ、誰の影響なんでしょうか。
結構大きいんじゃないかなっていうのはさくらももこの影響なんですよね。
小学校高学年の頃に彼女のエッセイが出て、クラスの誰もが読んでいたんです。
「さるのこしかけ」とか「もものかんづめ」っていうようなタイトルだったと思います。
どんな内容だったのか、一切覚えていないんですけど、面白かったというのだけは覚えてて、自分もこんな感じに生きていきたいなと思ったのかもしれません。
なので、訃報を聞いて、マジか。という感じ。
あの流れっていしいひさいちのののちゃんの小学校の先生とかに引き継がれているのかなと思ったけど、ちょっと違うし、なかなか後継者がいない。本当に惜しい人を、という気持ち。誰かいるのかな。
あと、思い出したので書いておくと、自分の案外と皮肉屋っぽいところ、完全に真面目になりきれないところは清水義範の影響が大きいと思います。
パロディ、彼のいうところのパスティーシュという、対象を若干バカにしながら、ものすごく研究して似た文章を再現する、という回りくどい表現方法は生き方として割と直で影響受けているんじゃないかと。
特に小学校高学年の時に読んだ、国語入試問題必勝法という名著があって、受験用国語の問題を題材に、問題を解く抱腹絶倒な馬鹿馬鹿しいテクニックを描きながら、実はそれが試験というもののデタラメな本質をズバリ捉えている。それが面白くて。
例えば主人公が生まれてから死ぬまでの波乱万丈な長い文章があって、それを6文字でまとめよ、という問題で回答が→「色々あった。」とかね。
この本のおかげでその後のどんな試験でも出題者の事を思いながら、若干バカにして解く癖がついています。
物事の本質を見るためにはどんな手段も使う、といえば聞こえはいいかもしれませんけど、今までの価値観で生きてきた人にとってはノイズが多い事この上ない生き方かもしれません。それはさておき。
そう考えると、小学校高学年っていうのは案外価値観を形成する限られたウィンドウなのかもしれない。
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