都市計画概要
1.古代エジプト
宗教的な特色、熱心な信仰によるモニュメント(記念建築)やオベリスク(記念碑)が発展した。
神と国王を同格のものとし、公共事業のような形で巨大な財力と労力が費やされた。
霊魂の不滅と来世の生活が確信されおり、死体と財物の保存に重要な意味があり、墳墓が発展した。
2.古代ギリシア
丘陵に城塞を築き、その付近にアゴラ(広場)を中心として、聖域・議事堂・体育館・競技場・劇場などが不規則に配置されていた。
植民都市を計画する際は規則正しい碁盤目の都市計画が行われた。
2.1アゴラ
市民集会の場。
周囲に列柱廊がり、奥に貸室や休憩室が配置されていた。
2.2劇場
オルケストラ:円形の土間で演出上重要な舞台。
テアトロン:舞台を中心に同心円の扇状に配置されている観客席。
プロスケニオン:舞台と背景の間にある舞台。
スケネ:背景、裏を楽屋に使う。
3.ローマ
ローマ人の世俗的で実際的な人生観や、多様で応用範囲の広い構築方法により実用的な発展をした。
戦車や馬車を能率よく走らせるために敷石で舗装した直線道路で各都市を結んだ。
水道橋による大規模な給水施設や暗渠による下水道が敷設され、都市生活の基本となる土木工事が行われた。
重要な都市の周囲は堅固な城壁で囲まれた。→城壁の発展
城壁には数十メートルおきに突出した塔が設けられ、接近した敵を側面から射ることができた。
市街地では、中庭式の7~8階以上のレンガ造アパートが建てられていた。
フォルム:ギリシアのアゴラに相当する広場で、神殿や各種公共建築物に囲まれていた。
フォルムは、長期間に自然発生した不規則なものと、皇帝などの発意によりひとつの建築計画としてまとめられたものがある。
3.1公共浴場
皇帝らの政治的意図により建てられたと言われるが、古代における最高レベルのレクリエーション施設であった。
巨大なテラスの上に立ち、大広間を中心に、温度が異なる複数の浴室・冷水浴場・体育館が配置されていた。
床下に熱気を通して床を暖め、壁内の煙道で壁を暖めていた。
テラス周囲には、貯水槽・競技場・講堂・遊歩道・店舗などがあった。
きゅ.icon『テルマエ・ロマエ』とかの時代
4.中世(ビザンチン~ルネサンス)
宗教、地域の特色にあった建築物がより発展した。
都市間の交流が盛んになり、相互に技術が進歩した。
修道院教会堂・大聖堂・市庁舎とその前面の広場を中心として自然発生的に町屋が建て並べられていったものが都市となったため、道路は狭く、不規則に曲折していた。
雑然とした都市に見えるが、地形に応じた境界や城壁により定められ、市門からマーケット広場への交通を主要路としていた。
都市の防衛の為の城壁内に町屋が密集し、敷地は間口が狭く奥に長い短冊形であった。
町屋は大抵、木造かレンガ造であり、自然と高層化した。
視覚的にきわめて統一感のある都市景観を形づくっていた。
きゅ.iconよくゲームやラノベの世界観で使われてるやつ
5.ルネサンス
アルベルティの「理知的な社会は、その理想を都市の形態にもあらわすべき」という思想を基にフィラレーテをはじめ多数の人々が理想都市の形態を考案した。
その多くは、円形・方形・多角形などの集中形式とり、その中に放射状、格子状の道路を配し、広場や主要な建築物を整然と配置するものであった。
5.1パルマノヴァ
ベネチア共和国の要塞都市。
星形の堀に囲まれ、9個の砲台で守られている。
放射状道路の実施の結果、不利が確認され、以降の計画では格子状の街路が採用されるようになった。
きゅ.icon北海道の五稜郭と似たようなコンセプトの都市計画
6.バロック
モニュメンタルな建築群や広場群を広い直線道路で結び、都市の整理し美化を計った。(ローマ)
これにより建築活動を促進させるとともに、空地やスラムの除去、上下水道の整備で衛生状態の改善に努めた。
ヴェルサイユの町・宮殿・庭園はバロック的な計画が詰まっている。(建築的背景が強く、都市計画としての意味は薄かった。)(フランス)
1666年のロンドン大火の直後、バロック的な再建計画案が出たが、元通りの敷地を要求する市民の反対により実現せず、中世的な街路網のまま再建された。(イギリス)
バロックの都市計画は実現可能であれば効果は明白であるため、19世紀まで都市計画の理想像であった。
きゅ.iconこれ以前と以降で出来た都市は機能面がかなり違うって感じの時代
7.近代
急速な技術発展に伴い、産業・建築・物流が変化し、人口も急増した。
より効率的な都市機能と都市の美観についての都市計画案が多数立案された。
7.1「工業都市」(1904、パリ、トニー・ガルニエ)
フランス南東部の高地を計画地とし、人口は35,000人を想定。
工業と市街地(公共施設用地、住宅地)が明確に分けられ、緑地帯(グリーンベルト)で明快に都市機能が分けられている。
近代都市として考えられるほとんどの施設を特性に合わせて立地させ、適切な交通網によって計画した。
7.2「明日の田園都市」(1899、イギリス、エベネザー・ハワード)
19世紀末、産業革命後のイギリスでは大都市への人口集中化が進んでいた。
都市と田舎のそれぞれの長所を活かした「田園都市」を開発することを提案。
土地を公有化すること、人口を30,000人程度に抑制すること、住居と雇用を備えて自立させることが特徴。
都市は同心円状の配置と、放射状道路で構成され、内側から中央公園(公共施設等)、住宅地、工業地、鉄道網、大農場の順で広がっている。
レッチウォースやウェルインで実現され、WW2以降も影響を受けたニュータウンが多数実現されている。
日本でも鉄道会社が開発の理念として田園都市を生み出した。
7.3「300万人もための現代都市」(1922、フランス、ル・コルビジェ)
1922年、パリのサロン・ドートンヌで発表。当時のパリ人口と同等の人口規模。
摩天楼と底部の豊かなオープンスペースが特徴。
20世紀の諸問題や人口過密、自動車の増加に対して人間らしい生活を送るための理想都市モデル。
3つの住区からなり、中心に60階建ての超高層部、その周囲に8階建ての地区、さらにその周囲に低層の住宅区が広がる。
7.4「輝く都市」(1933、フランス、ル・コルビジェ)
「垂直な田園都市」と呼ばれるような高層化された建築と公園のような地上部分からなるような計画。
高層化されした住居やオフィスなどを機能的なゾーニングでまとめ、自由な土地を生み出し、屋上庭園や地上に公園のような環境をつくっている。
ひとつに完結するような都市ではなく、さまざまな都市の構築方法を示したものとされる。
7.5「近隣住区論」(1923、アメリカ、クラレンス・アーサー・ペリー)
住宅地やニュータウンを計画する際の基礎的な理論のひとつ。
6つの原則
規模:人口は小学校一校に対応。8,000~10,000人
住区境:住区は幹線道路に囲まれる
空地:公園、緑地を設ける
公共施設:住区の中央に小学校などの公共施設をまとめる
商業施設:商店は住区の周辺で交通の接点に設ける
住区内道路:通過交通を防ぐ
アメリカのラドバーン、イギリスのハーロウニュータウン、日本の千里ニュータウンなどに状況に合わせて適用されていった。
きゅ.icon古代、中世、バロックあたりだけふわっと覚えとけばいいと思う
きゅ.icon分からないところや詳しく知りたいところは声かけてくれればさらに深堀りします
きゅ.icon文章ばかりで読みにくいのはごめんなさい、学生の頃の教科書など紙の資料から概要を引張てきてます