男・右靴・石
所収:『MONKEY vol.20 探偵の一ダース』(スイッチ・パブリッシング)
「この事件はわたしとは、というよりも、この世に生きる者たちとはおよそ無関係に起こったものだ。であるならばその幕引きは、わたしとは、というよりも、この世に生きる者たちとはおよそ無関係に起こるものになるべきではないかな。部屋には石と少なくとももう一つ、現れたものがあったのだ」
ホテルの一室から男が消えた。ベッドの上にはひとつの石が残されていた。石が本来あった場所では、男の右靴が砂に埋もれている。
探偵の推理が理解できないこと、事態の真相も理解できないことが作中でも語られる
探偵小説と不条理(と、この場合、云ってしまって良いのかわからないが)は実のところ相性が良い。
推理小説は「わかる」こと書くことで「わからない」ものを記述する形式とも云える。
同様に、論理を書くことで、論理では捉えられないものに接触する。構図を書くことで、構図に回収できないものを示してみせる。
生と死は排中律が認められる。生きていることと死んでいることの境界を、推理小説は引き伸ばしたりつっついたりスライドさせたりする。
だとすれば円城の作風と、意外にも相性が良いのでは。
ボルヘスもレムもミステリを書いてるぞ。
あと「探偵」小説では一人称の観察者と云う形式も見逃せない。
酉島伝法「彼」を思い出した。『たべるのがおそい vol.6』所収。以前トークショーで確認もしたが特集「ミステリ狩り」とは関係ないはずで、しかし特集内作品よりも遥かに「ミステリ狩り」をしてしまっている(スナーク狩り的な意味で)、答えのない推理小説のような作品。
答えがない、と云う点では麻耶雄嵩『メルカトルかく語りき』に通じた、途方に暮れる感覚もある。『かく語りき』はアンチ・フーダニットと云う観点でミステリの内側から風穴開けるような作品だが。 推理小説の形式のなかで思考の転がり方が気持ち良い、と云う点では山野浩一「殺人者の空」を思い出しても良い。
安部公房がなんか書いてたりしない?