平成3年5月2日,後天性免疫不全症候群により急逝された明寺伸彦博士,並びに,
所収:『日本SFの臨界点[石黒達昌]冬至草/雪女』(ハヤカワ文庫JA)
〈個体の営みが種の保存を目的としているならば,種の滅亡の瞬間,個体の死は意味を失うことになる.それを自然淘汰と呼ぶなら,進化のエネルギーは何を押し潰し何を存続させようとしているのか.自然淘汰という原理が全ての生き物を淘汰しつくし自己完結するということはありえないだろうか?(中略)真理のたどり着く先は予定調和なのか混沌なのか.2匹のハネネズミは別々のケージの中で絶滅を待っている.それに対して自分は今何ができるかを考えなくてはならない〉
正確には無題の小説。書き出しを便宜上のタイトルとしている。
北海道の一部地域に存在したハネネズミと云う稀少種がその特殊な生態から注目され、しかし絶滅するに至った経緯をレポートの形式で綴る。
ハネネズミの謎の生態が研究によって明らかになってゆく過程がまずミステリであるが、それだけでなく、この生物に魅入られ、自身もまた多くの謎を残してこの世を去った明寺伸彦をめぐる「人間の謎」もまたミステリとしての読みどころ。ハネネズミ注目のきっかけである医師が失踪を遂げていたり、ある人物の遺した書きかけの言葉であったり、謎は尽きない。
図版も幾つか載せられており、人間の顔が写真として示されるだけで、いっそ恐怖とさえ云える人間存在そのものの謎が起ち上がってくる。
ミステリは多くの場合、個人の「死」を云々する。二十世紀の大量殺戮以降、その振る舞いにはどこか後ろめたさがつきまとう。
ミステリは「絶滅」を前に何を書けるだろうか?
後天性免疫不全症候群とは、エイズのこと。作中ではほとんど言及されていないが、明寺の心理を想像する上で非常に重要な要素であることは間違いない。