ファントムセンスを初めて知った
(ただの端書きなので読む価値はあまりないかもしれません)
「感度持ち」とか書かれているそれは、「VR感覚(ファントムセンス)」と呼ばれるものらしい。
身体論的立場からの考察
最近、鷲田清一氏の「身体、この遠きもの」を読んだことを思い出して見返してみた。
身体は皮膚に包まれている肉の塊であることは、自明のことのように思われる。しかし、それはどうもあやしい。たとえば怪我をして、一時期杖をついて歩かなければならなくなったとき、はじめは持ちなれない杖の感触が気になる。しかし持ちなれてくると、掌の感覚は杖の先まで伸びて、杖の先で地面の形状や固さを感知できる。感覚の起こる場所が掌から杖の先まで伸びたのだ。(中略) このようにわたしの身体の限界は、物体としての身体の表面にあるわけではない。わたしの身体は、その皮膚を超えて伸びたり縮んだりする。気分が縮こまっているときには、身体も収縮する。身体空間は、物体としての身体が占めるのと同じ空間を構成するのではない。
(鷲田清一『普通を誰も教えてくれない』より引用)
なるほど、確かにこの調子で考えるとVRでの感覚が現実に反映されるというのもおかしな話ではないな、と感じる。
催眠や暗示的なモノに触れてきたが、思い込みが肝心で、こちらがその体験をしたいと望むから起こるモノであって、少しでも現実を感じ始めると催眠が解けてしまうというレベルだった。
VR感覚は杖とはだいぶ話が違う。現実には受けていない感覚を受けているわけだし、望んではいないことが多そうである。
VR感覚は催眠の同類というよりは、共感覚や幻肢痛の延長にあるのかもしれない。
いくら感覚の起こる場所が体の外側にまで拡張されうるからと言って、バーチャルな空間まで延びるのだろうか…?
こればかりは体験したりしないと分からない話なのでそういうものがあるんだ程度に思っておくしかないのだろうか…
身体の拡張
「身体」の拡張で言えば、自分のアバターも身体になり得る。
例えば自分の(代理)オリキャラが他者に傷つけられた時、その悲しみは自身に跳ね返る。これは自分がそのキャラクターに深く感情移入し、感覚がリンクしているからだと考えられる。
VRでもアバターと自分の感覚がリンクしているならば、身体として捉えようがある。
最終的に拡張していけば、身体というのは生物学的な枠を大きく超えて行くのではないか。
なんか色々描こうと思ってたけど忘れちゃったので思い出したら続き書きます