褒めの思想
褒めの思想
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人を motive するには褒める方が叱るよりも効率が良い
叱りはパワー・ハラスメントと類似する
なんとなればハラスメントを「不利益をちらつかせて説得する」こと ≒ 脅迫と捉えれば、
補足: ここでいう説得とは相手の行動を変えさせること
叱りは「アレをするな。さもなくば大きな声で驚かせたり恐怖感・威圧感を与える態度で接するぞ」という感じのものなのでこれは脅迫でありハラスメントである
ハラスメントは相手を萎縮させる(生産性を下げる)
それどころか、ハラスメントを目撃した人の生産性も下げる
なんかそういう文献があるっぽい
ある方向に人を向かわせたいのであれば萎縮させる叱りを用いるよりも褒めを用いた方が良いだろう
悪い行為を叱るな。良い行為を褒めろ。
何を褒めるべきか?
~叱るのはできるが褒めるのは難しいと思ってる人への提案~
しかし、これではややこしいので「望ましくない」ことを単に「悪い」と書く
何を褒めるべきかわからない原因
「良い」ことを褒めようと考悪いことに対してはえていると、「これは『良い』のか?」と言う風に吟味する必要があり、難しい
一瞬で良いものを見抜けて褒めることが既にできているならば、そもそもあなたはこのようなことで悩んでいない
悪いものを見抜くのは良いものを見抜くよりも簡単だろう
だから叱るのは簡単なのだ
簡単に見つけた悪いところを大きな声で/高圧的に指摘すれば良い
翻って、悪いものを見抜くのが簡単であることを利用することで「悪くない」物を褒めるようにすれば叱るのと同程度に褒めるのが簡単になるだろう
「できている」ことは「悪くない」ことなので褒めるべきだ
どのように褒めるべきか?
結果ではなくプロセスを褒めよ、ということがよく言われる
結果のみを褒めると結果さえ良ければプロセスでどんなあくどい事をしていても褒めることになる
更に言うと、褒める頻度が減る
倫理的かつ生産性の高い人に対しては(プロセスを褒めると常時べた褒めになってしまうので)結果のみを褒めても良いかもしれない
しかし、結果をトリガーにして褒めるとしても、その結果の大元たる努力を褒めるべきだろう
翻って、プロセスを褒めると、褒める頻度が増え、細やかな方向性の誘導により道徳的な方法で結果を出すように誘導できる
悪いことにはどう対処すべきか?
叱るのはできるが褒めるのは難しいと思ってる人の場合、とりあえず無視し、近づかない方が良い
自分の叱りグセ、褒め下手が治らないからだ
また、相手との信頼関係が希薄で、相手がこちらのことを恐れている場合も、とりあえず無視し、近づかない方が良い
相手が悪いことをした旨を直接的にでも間接的にでも指摘すると相手がビビって萎縮する=叱っているのと同じになるからだ
自分の叱りグセ、褒め下手を直し、相手との信頼関係を築いているときは
当該の悪いことに関する議論をすべきだ
まず、何が起こっているのかを明らかに詳細に描写できるように議論する
続いてその原因は何であるかを議論する
更にその解決策を議論する