ハビトゥス
彼によって理論化された、社会学における極めて重要な概念。
日本語では「性向」などと訳されるが、個人の「性格」や「クセ」を単に意味する概念ではありません。
ハビトゥスとは、人々が、家族、学校、地域といった、特定の社会階層や集団の中で生活するうちに、無意識的に身体に刻み込まれる、思考、知覚、行為の様式(パターン)のことです。
それは、私たちの存在の隅々にまで浸透しています。例えば
立ち居振る舞い
話し方
味覚の好み
センス
笑いどころ
金銭感覚
将来への期待
など
ハビトゥスは、「構造化された構造」。
私たちに特定の状況で「ごく自然に」「当たり前のように」振る舞わせるもの。
社会の構造(階級、教育など)によって「構造化」され、同時に、そのハビトゥスが、私たちの行為を通じて、社会の構造を再生産する「構造化する」力を持つ。 特定の社会階層(特に支配階級)で形成されたハビトゥスは、その文化圏の中では「洗練されている」「教養がある」と評価され、有利な社会的地位を獲得するための「資本」として機能します。
例えば、美術館での振る舞い方や、クラシック音楽の知識は、それ自体が価値を持つのではなく、特定のハビトゥスを持つ人々の間で「価値あるもの」として通用するから、それゆえに、文化資本となりうるわけです。
金銭は努力次第でもしかしたら手に入れることができるかもしれないが、たとえば「貴族のハビトゥス」は、何世代にもわたってその文化に身を置かなければ身につけることはできないでしょう。
なのでハビトゥスは学校教育などの場を通じて、特定の文化資本を持つ者が有利になるように作用します。
結果、親(家庭)の持つ文化資本が子へと受け継がれ、世代を超えて階級構造が維持・再生産されてしまう。このメカニズムを、ブルデューは文化的再生産と呼びました。 これは、個人の能力や努力だけでは乗り越えがたい、社会構造の強固さを示しています。
ブルデューのハビトゥス論は、個人の意識や主体性を超えた、目に見えない「構造」が人間を規定するという点で、構造主義的な思想の系譜に連なります。 しかし、彼が単なる構造主義者と異なるのは、ハビトゥスを、単に社会構造に規定されるだけの静的なものではなく、人々の日常的な「無意識的な実践 pratique」 を通じて、その構造自体を「再生産」し、時には「変容」させる動的な力を持つものとして捉えた点です。
この、構造の絶対性を認めず、その生成と変化のプロセスに注目する視点は、ポスト構造主義的な思考とも通底していると言えるでしょう。 ハビトゥスは、私たちが「個人の自由な選択」や「生まれつきの才能」だと考えているものが、いかに社会的な構造によって深く規定されているかを暴き出しています。