ポスト・トゥルース
post-truth
世論の形成において、客観的な事実や専門家の知見よりも、個人の感情や信念への訴えかけの方が、より大きな影響力を持つ状況を指す言葉。
2016年、イギリスのEU離脱(ブレグジット)や、アメリカ大統領選挙におけるドナルド・トランプの勝利を背景に、オックスフォード英語辞典によって「今年の言葉」に選ばれ、世界的に広まりました。
ポスト・トゥルースは、単なる「嘘」や、意図的な「プロパガンダ」とは異なる 嘘やプロパガンダは、依然として「真実」の存在を前提とします。これらは、真実を隠蔽したり、歪めたりしようとする試みです。
一方でポスト・トゥルースの時代においては、「真実か嘘か」という基準そのものが、重要性を喪失します。
ある言説が「自分たちの感情に訴えかけるか」「自分たちの信じたい物語に合致するか」ということの方が、その言説が客観的な事実に即しているかよりも、優先される状況を指します。
日本では、2004年–2005年にヒットした『電車男』が、このポスト・トゥルース的な感性の萌芽を示す象徴的な出来事だった、という指摘もあります。ばるぼら(著), さやわか(著)『僕たちのインターネット史』 当時、『電車男』の物語が創作か否かを問う暴露本が出版されても、多くの読者にとっては「面白ければ、気持ちよければ、真偽は関係ない」という空気が支配的でした。 この「真偽を問うこと自体を無意味化する」態度は、2ちゃんねるに代表される、あらゆる物事をネタ化し、シニシズムで笑い飛ばす文化と共鳴します。 そして、この「ネタ」と「本気」が区別なく流通し、信じたい物語だけがまとめサイトなどを通じて増幅されていく状況は、まさにポスト・トゥルース的状況の先駆けと言えるかもしれません。