アーレントにとっての“一人であること”
人が「一人である」状態を、アーレントは単なる孤独として一括りにせず、その様態によって以下の3つに区別して論じました。 ただ、現代の混乱する政治の時代に、再度理解しておきたい区別だと思います。
1. 孤独(solitude / Einsamkeit)
孤独は、人が思考するのための条件だとしました。
「私」と「他者を代表するもう一人の私」と対話が行われている状態。
これは積極的で生産的な状態。
アーレントはこのことを、一者の中の二者 the two-in-one と呼んでいます。
善悪を判断する良心のはたらきや、世界との健全な関係を築くために、人間にとって不可欠な営みと言えます。
2. 孤立(isolation / Isolierung)
他の市民たちと共に 行為 action を行うための公的領域から切り離されている状態。 物理的に一人でいることではない。
大衆の中にいながらも、他者と共に声を上げられないような状態。
しかし、職人がテーブルを作ったり、芸術家が詩を書いたりするように、公的な世界の喧騒から一時的に離れ、対象物と一対一で向き合う状態でもあります。
制作 work のための条件ということ。
この世界に永続的にとどまるなんらか工作物 artifact を生み出すための、創造的な条件となりうるのが孤立の状態。
3. 見捨てられていること(loneliness / Verlassenheit)
いかなる生産的な活動も不可能な、非人間的な状態。
この状態は、単に政治的な領域から排除されるだけでなく、自分が帰属すべき共通の世界を失った根無し草 uprooted となり、あらゆる人間的な交わりから切り離され、誰からも必要とされていないと感じる経験を指しています。
「見捨てられている」この状態が、人々をイデオロギーに熱狂させ、全体主義の支配を準備する温床となる、とアーレントは分析しました。 この文脈で言えば、
ボ哲は、「孤独」へとあなたをお誘いします。
同時に、例えばボードゲームのような、あるいは、これら遊びへの言説のような、世界性 worldliness をつくる工作物 artifact のための創造性を確保しに、「孤立」に足を踏み入れてみるのも、いいかもしれません。
これら二つの健全な「一人であること」の経験は、アーレントのいう通り、全体主義や悪しきポピュリズムから離れる有効なアプローチだと思っています。