基礎を学ぶのは苦しいものと心得る
【基礎の習得は楽しみを見いだしにくい】
TOEICの発音も、単語も、文法も身に付けるのはまさに修行のような日々を送っていて、「めっちゃ楽しい!」というわけではなかった。
ある意味、「自分の理想世界に近づいているぞぉ!」というワクワク感は楽しい要素だったが、唯一ある楽しみはそれくらいであり、なおかつ、それは極めて軽微な快楽である。
しかも、その微弱な快楽を手に入れるには、未来におけるコンフォートゾーンが出来上がっている必要がある。
コンフォートゾーンの更新が完了している完了している人間でなければ、基礎を学ぶことに楽しみを見出せることは難しいだろう
もう一つの楽しみの見出し方は「プロセス」。つまり、自分が瞬間的に快楽を感じる行動をすでに知っており、その行動を学習の中にインストールして実行することができる者は、基礎の学習の中に快楽を見出すことができる。
たとえば、僕の場合は「改善」が起こった瞬間に快楽を感じる人間なので、学習の中に「数字」「分析」の要素を入れることで、快楽トリガーである改善が起こったことがより認識しやすくすることができる。
プロセスが楽しすぎて目的を見失うというリスクはあるが、日々の学習を続ける上では非常に強い要素になる。
【基礎を学んでいる間にするべきこと】
何に焦点を合わせるべきなのかを探る。つまり「基礎は何なのか?」の視点が重要。
上達したジャンルは力の入れどころと抜きどころが感覚レベルでわかっているから、最適なエネルギー効率でパフォーマンスを発揮できる。