VRコンテンツの規制と未来の妄想
とあるVRゲームを遊んでいた。そのゲームでは人を殺すシーンがあった。その瞬間はぼかされていたし、自分がナイフを振りかぶる動作をしたわけでもないが、暗転して刺突音が聞こえ、景色が戻ると相手は床に倒れて血が出ている。それを見て何ともいやな気分になった。自分は共感性羞恥などが強い方であると自覚しているので、いつものやつだと思いしばらく頭を冷やすことにしたのだが、その時にふと、VRの能動的な殺人描写は規制されるのではないかという妄想が始まった。何となく深堀りしてみると、思いのほか興味深かったので、ここに書き散らかしてみる。
ゲームと現実の区別がつかない人というものが話題に上がる事がある。自分はゲームで育った人間なので懐疑的ではあったのだが、VRゲームはどうだろう。VRという技術は、言葉をそのまま受け取るとしたら、最終的に現実の代替たりうるものを目指しているはずだ。VRがVRとしての完成度を高めていくに伴い、VRゲームは現実へと近づいていく。そうなるとゲームと現実の区別がつかないなんてことは当たり前になってしまうのでは、と思った。もしそうならば、きっと現実世界で出来ない事をさせない為の規制が沢山生まれてくるのではないだろうか。恐らくあと10年もしたら大分窮屈になっていることだろう。
当然ながら、VRが現実そのものになる事は(一部の現実感こそが大切なコンテンツを除き)無いだろう。せっかく人間の手で現実を作るんだから、人間にとって様々な観点からより便利な現実が大量生産されるに違いない。そこでは何が起こるだろう。例えばReady Player OneではVRの中に学校があり、主人公はそこに通っていた。授業に向かう途中、素行の悪いやつらに絡まれる。学校は戦闘禁止エリアなので怖くない。やつらをミュートする。終わり。もし仮に彼らが殴りかかってきても、その攻撃は主人公の体をすり抜けるか直前で見えないバリアに止められて警告が出るかするのだろう。(その辺りの描写がすでにあったらすみません。) そんなVRが当たり前になった時代、シングルトンの現実では何が起こっているだろう。現実ではミュート出来ない。現実に見えないバリアはない。どうせ止まるかすり抜けるだろうと思って小突くと相手に当たる。その手に棒やナイフが握られていたら?銃ならどうだろう?恐らく現実でもVRと同じように撃てる。こういった事件が頻発するのではないだろうか。消えないのでイライラしたとか、当たるつもりはなかったとか。
もしくはそういった事が起こるのを恐れる為、より現実での人と人との関わりが薄くなっていくのだろうか。人々はネットで自分と話の合う他人と井戸端会議を楽しむ。
それともちょっとした差異で現実とVRを見分ける技術を手に入れるのだろうか。今の僕らがゲームと現実を見分けられるように。
そこからさらに時が流れ、ようやく人間がVRで生まれてVR で死ねるようになったら、もはや現実とVRの行き来は星から星へ移動するよりもハードルが高いことになっているのではないだろうか。VRで生まれた子供はVRに最適化されており、現実の物理法則を知らない。逆に現実で生まれた子供はVRの論理法則を知らない。これは言葉の違いとか、重力の違いといったレベルの話では済まなさそうだ。
そこから先はまだ考えてない
ちなみにこれはVRが現実より便利になる技術が発明され、世界的に普及することが前提としてあるので、そもそもVRがギークとして迫害されてしまうとズレてくると思う。
「現実より便利」の定義には現実で出来ることは全て出来るという意味が含まれますし、酔わないし疲れないという意味も含みます。