制度の外側は想像しにくい。
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鶴見俊輔「本当に現実主義的であるためには、現実主義だけではいけない」
谷川嘉浩著 『鶴見俊輔の言葉と倫理』
「現実的平和主義」を唱えた戦前の知識人の多くが、現実のあまりの複雑さにのみ込まれていった。
予測不可能で不確実な時代には、夢や理想を語る言葉がやせ細る。
「現実を見ろ」という声ばかり大きくなる。
現実だけを見るという姿勢
↓
制度は、ひとたび成立すると、人間の行動に高い規則性をもたらす。
自然法則とは違うので、実際には常に変化の余地がある。
生成するものであり、変化していくことができる。
〈制度〉に対する、なめ敵の基本的な認識。
右側通行の国(アメリカ)に住んでいて、
日本では左側通行なわけですが、右側通行の国と、左側通行の国と、どっちの方がいい国だと思いますか?
多くの人は、どっちでもいいだろう、と答える。
ゲーム理論における「複数ナッシュ均衡」
どっちでもいいはずなのに、いったん決めてしまうと、そうでない行動は取りづらくなる。
みんなと別の行動を取ろうとすると、とても生きづらくなる。そういうことが、制度というものには内在している。
制度の優劣をつけることが難しいと言える理由
複数の制度が絡まり合っているから。
「制度的補完性(institutional complementarity)」経済学者の青木昌彦 例 労働市場において終身雇用的な制度がいいか、高流動市場の方が望ましいか、という問い自体にはあまり意味がない。
労働市場制度と、金融市場制度の間の「補完性」を考える必要がある。 日本の終身雇用制は、金融市場におけるメインバンク制度のようなものと支え合う関係にあった。
単体で取り出してきた制度について優劣を比較することには意味がない。
制度の良し悪しをはかる物差しが一つに決められない。
制度を評価するにも、多様な評価軸があり得る。
そもそも人間の幸せを一次元の指標で測ることは難しい。
何か一つの軸に沿って最適な制度を一つ選ぶということはできないのです。
明文化された法律のようなものだけが制度なのではない。
「人間が生きているときに互いに期待し合っているもの」は何でも制度だと考えることができる。
森田
「互いの期待が一致している」
そこから生成する行動に規則性が生じる
いろいろなものが制度
文化されたルールや規制
言語化されていない習慣やタブー
慣習的な行動
制度を、どう変えていいのか?
一人一人が、「ああ、制度というのは、そういうものなんだな」ということを認識、自覚することから
Miyabi.icon制度や統治機構は自明ではない。 ある条件があって制度というものは動いている
だから、いつでも自分たちの力で、それを変えたり、よりよいものにしていくことができるのだな、という感覚
デモクラシー、つまり、民主主義というものの本質
その上で、居心地の悪さをみんなに相談できる必要があります。もっと居心地よくしていくことができるのではないかと提案し、相談し、みんなで考えていく。それがデモクラシーです。
トクヴィル(1805-1859)というフランスの思想家でした。
フランスではなくて、アメリカでデモクラシーを発見したのです。
現代のデモクラシーは、アメリカで発展したデモクラシーが起源です。
しかし、それにアメリカ人は気づかなかった。
アメリカ人は、制度を自分たちで変えている。
自分たちの町は自分たちでよくしていこう、そのためにみんなで考えて、みんなで相談する、そういう文化がある。
これこそがデモクラシーなのだと、彼は発見した
「タウンシップ・デモクラシー」といいます。
制度の核心にあるのは何か?
一人一人が心に抱いている期待、あるいは予想(belief)が制度の核にある。
皆の行動への予想があるからこそ、みんなの秩序的な行動が生成される。
制度が変わるときとは、皆が何を信じ、何を予想しているのかが変わるとき
しかしそれがどうやって変わるのかは難しい。
制度は民衆の期待によって形成されている
何を期待するか、何を予想し想像するかで制度は書き換え可能。
自分たちがコミットしている制度は、いままさに自分たちが何を信じるかによって生成している
この感覚をより多くの人が内面化することによって、より制度は変わりやすくなる。
Miyabi.icon逆説的に、変わらない制度の理由を説明してもいる。日本国憲法の謎の不可侵さとかね。