民俗学の目的と方法
「私(たち)が資料である」『民俗学入門』より摘出
まず、民俗学の目的は何か。普通の人々の日々の暮らし、それが現在に至った在歴を解き明かすことである、というのが日本民俗学の創始者・柳田國男の考えである。[p.220]
→Q.この文で示される「民俗学の目的」とは、誰の考えか?
→A.第一義的には「柳田國男」だが、続く文章を読むと、著者自身も賛同していることが、うかがえる。
「これからをより良くするために、これまでをより良く知る」[p.221]
→Q.終章の上記引用より以前の部分で、同内容を別表現で示す句を、抜き書きせよ。
→A.「未来をより良くするために現在とそれを生み出した過去を正しく知る」[p.220]
「文字資料」だけに頼ることは限界がある。ならば、その限界を突破するために、新たな資料の沃野が切り拓かれねばなるまい。ここで見いだされたのが「民俗資料」である。それは何か。「普通の人々」の「日々の暮らし」そのものであり、極論すれば、そうした暮らしを営む私(たち)自身のことだ。[p.224]
私たちの日々のふるまいは、いま現在の出来事でありながら、本当に自らの発明発見である部分はごくわずかで、その大部分を過去の人々に依拠している。私たちが「歴史」を宿した「資料」であるというのは、このような意味においてのことだ。[p.225]