monoB_200519
はじめに
本書のねらいは、あなたにとって身近な、けっして見過ごすことのできない現代的なテーマを取り上げることで、読者であるあなたに、社会学的な「ものの見方」を習得してもらうことである。iii
本書の14のテーマをつうじてあなたに伝えたいことはいたってシンプルだ。それは、わたしたちの日々のふるまいや考え方が、社会の影響から「自由」ではないこと、そして、わたしたちのふるまいや考え方が、社会を作り、社会そのおのを変えていく、ということだ。iii
第1章 スマホにふれる
第1節 スマホ片手に何をする?
ここで登場する術語=専門用語「関与シールド」等々を覚えたかどうかは、正直どうでもよいことだ。ポイントはやはり「スマホ片手のパフォーマンス」を、どれだけ具体的に想起できるかにある。
第2節 いま・ここ・なんとなく
ここは建設学科の研究テーマにもなりうる話題を、展開している。私達の暮らしを次代的に少し遡り、スマホを「いま・ここ・なんとなく」に操作してしまうことが当たり前になるまでの、短いけれど濃密な歴史が書かれている。
第3節 ふれさせられている?
せっせとSNSに投稿していることは、同時に、SNS運営会社にデータを(無償で/あるいは、こちらが支払って)提供し、結果的にその会社に莫大な利益をもたらしているしくみが、指摘される。このしくみが、「アーキテクチャ」とか「プロトコル」とか、建築やコンピュータの用語で名付けられている。社会が、工学の用語で説明される時代なのである。
第4節 生(ライフ)にふれる
「フィルタリング」「パーソナライゼーション」「フィルターバブル」「エコーチェンバー効果(現象)」云々は、まさに「テクノロジーの手のひらの上で転がされているよう」である。これが「流言飛語」「デマ」「ヘイトスピーチ」「ヘイトクライム」ともなると、「誰かの生命」に関わる。Twitter画面のRTにふれるだけの行為でも、デマを拡散し、「誰かの生命」を奪うことだって、現実に起こりうる。
一方で、携帯端末の肯定的側面をとらえれば、新たな連帯=団結も、可視化しうる。実際、私たち教員と学生とだって、この遠隔授業を成立させることから、これまでにない新たな連帯=団結が発生する可能性も、皆無ではない。
たとえば、先ほどMeetで展開した質問のやりとりは、大教室で可能だったか?と問い直してみても、よい。遠隔授業だったからこそ、あんなに円滑に質問がやりとりできたのではないか? 大教室であったなら、周囲の視線も、気になることだろう。ところがインターネットを介すると、その場に多数が参加しているのは確かなのだが、あたかも一対一で電話しているかのように(そして、漏れ聞こえるやりとりに耳をすましているかのように)感じられたのではないだろうか。
第5節 スマホで社会にふれる
「スマホがある社会で、人々の感覚や関係性はどのように形成され、移り変わりつつあるのだろうか」とは、現在、私たちが直面している事態だ、とも読み替えることができる。
少なくとも私自身は大学教員として、スマホのみで受講しうる遠隔授業の設計を、強いられている。正直、スマホのスペック問題ではなく、それを操作するスキルの問題だと、強く感じている。
第2章 飯テロにふれるは、次回へ延期。
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