[問]日本語の文章を書くことが苦手で、卒業論文が書けるかどうか不安です。ゼミ主宰教員が望む水準の日本語表記にするためには、どうすればよいでしょうか?
[答]諸君が入学して以降、ゼミ主宰教員の担当する科目で用いられた教科書や参考図書を、きちんとおさらいするところから始めましょう。
まず目的をハッキリさせましょう。何のために「ゼミ主宰教員が望む水準の日本語表記にする」のか。端的には、教員が合格と認める卒業論文を書き上げるためです。ではその教員が学生に対して、どのような卒業論文を求めているのか、確認しましたか? まずは公的に発信している情報[*]を、確認すべきです。おそらく研究室の公式サイト(そしてそこからのリンク先)で、発信しているはずです。
たとえば卒業論文を作成するに際し、日本語の参考図書として小笠原喜康(2018)『最新編 大学生のためのレポート・論文術』講談社現代新書を推す教員がいたとしましょう。
その目次をチェックすると、どうやら第6章「わかってもらえるレポート・論文を書くために」に「文章のわかりやすさをつくる唯一の原則」「その他の効果的なテクニック」「わかってもらえるレポート・論文の3つの条件」の節があると分かります。日本語で表記することの不安に対する処方箋としては、この辺りが参考になるはずだ、と予想できますよね?
さらに、《教員が公的に発信している情報》とは何かを鑑みれば、その教員の担当科目における教科書が該当するはずだ、と思い至るでしょう。とくに1回生むけに開講された科目の教科書は、どのような科目であれ、基本中の基本だと考えて間違いはありません。その教科書が、日本語で表記することの不安解消に、役立つはずです。おそらく3回生あるいは4回生になってからの方が、有益な再発見があるでしょう。再読を勧めます。
なおこの姿勢、つまり「まずは公的な情報発信をチェックする」姿勢は、様々な問題解決の第一歩として、あらゆる局面に効果が期待されます。大学生活はもちろんですし、就職活動も同様です。むしろ「公的な情報発信をチェックする」ことを怠ると、負の側面しか想定できません。それくらい重要だし基本の姿勢なのです。その重要な基本の姿勢は、教員と協力しながら卒業研究を進めることで、身につきます。
*基本的にこの社会は、公的に発信された情報の発信者には責任がある、とのお約束で動いています。「公的に情報発信(発言)したけれども、あれは間違いでした」が重なると、社会的な信用が低下し、最悪ですと社会的に抹殺されることすらあります。だからこの社会では、一人前のオトナ(であろうとするヒト)は、公的な情報発信に殊のほか配慮するのです。ちなみに大学で諸君が「取る/落とす」で一喜一憂する「単位」とは、英語では「クレジット」で、「クレジットカード」のクレジットと同様、日本語訳すれば《信用》です。