問いを捕まえる
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さあ、問いを作りましょう。っていう指導に違和感があります。問いって、言われて作るものでしょうか?
日々生活していて「問い」って自然に浮かびますよね。(「浮かばないけど…」と思われる方は、子供時代を思い出してください。これってなんだろう?と不思議に思われた経験ってないでしょうか。それらの問を追求する面白さを知る機会が得られなければ、脳は「問い」をいらない情報として、意識上に上げてくれません。無意識下で削除してしまいます)
自然に問いが浮かぶ。これってどういうことかといえば、日々生きている中で自然に「N」つまり、要素の抽出が行われていて、それらが不意につながったり、矛盾したりすることに気づき、(これはK、つまり要素の構造化です)「問い」として浮かび上がっているのです。(一つのまとまりとして認識された時、それをS、整理されたと考えます)僕はこれを「問いに出会う」と表現します。と言って、「さあ問いを出すぞ」というものではなく、日常の中でふと浮か部ものだと思うのです。大切なのはそれを逃さないことです。僕はこれを「問いを捕まえる」と表現します。問いは作るものではない。出会い、捕まえるものである。と思っています。
だから、振り返りシートや、一言日記が有効なのです。日々の生活をしているだけで知覚や感覚は蓄積されていきますが、それらを「文字にして捕まえる」ことで、本当なら無意識下に沈んでしまうような事柄も、意識上に保存できます。1日単位で見れば、その日感じたこととはというQに基づき、NKSをしていますが、1ヶ月単位で見れば、この1ヶ月の思考とはというQをたて、日々の記述をまるごと「N」として捉えることができます。それらをざーっと振り返り、つながりを直感し(K)閃きや問いとして練り上げる(s)という事ができるようになるのです。QNKSの流れを知っているだけで、日々の振り返りは単なるお楽しみ日記ではなく、思考のためのデータ蓄積行為であると認識できるようになります。
ちなみにぼくはツイッターをそういう役割として使っています。僕の思考をNする場所です。定期的にこれらを構造化して、今どの部分について思考しているのかについて、意識的になるようにしています。良質な問に出会うときはたいてい、そういうことをしているときです。