けテぶれマップの哲学
けテぶれマップ哲学編
学習の内容や方法がバラバラでも協力できる
このように、学力の上位層だけでなく、全ての層について、「学び方」を構造的に示すことで、子どもたちはその学びの場で手持ち無沙汰になることがありません。教室の子供達は一人ひとり。自分の現在位置を意識しながら、学び方を選択していくことができます。
学習内容も、学習方法もバラバラ。子どもたち一人ひとりが、今の自分と向き合い、必要な学び方と学びの内容を選択し、深めようとする学習空間です。こう書くと、「そんなことしたら、子どもたちは好き勝手バラバラに学び始めて、収集がつかなくなってしまいそう」と思われるかも知れません。ですが、いくら学ぶ内容や方法がバラバラであっても、「脳みそに火花を散らせて学んでいる」という点で言えば、クラスの全員がその行為を共有しています。過去に担任していた子どもたちが言っていたことで深く納得させられた言葉があります。それが「学校の中で一番集中できるのは、集中している人のとなり」という言葉です。これにはなるほどなぁと思わされました。学習者同士が力を合わせる協同的な学びの成立要件に「学習内容が揃っていること」や「学習方法が揃っていること」といった条件は無いのです。この文脈でもう一つ子どもたちの言葉で感心したセリフがあります。それは家に帰って宿題をやる気がでないとき、きっとその時間、家で宿題を頑張っているであろう友達のことを思い出すのだそうです。すると自然とやる気が出てくる、と。これって立派な協同学習じゃないですかね。つまり共同学習の成立要件に「学習場所が揃っていること」すらもその条件から外すことが可能であるということです。
ではその唯一の成立要件は何か。それは「共に脳に火花をちらして学んでいる」という意識です。そういう仲間が隣にいる(もしくは、ココロの中にいる)ということが、“ともに学ぶ”ために必要な最重要条件なのだと思います。
その熱を冷まさないために、学習の選択肢を構造的に示し、その中を動き回れるようにするのです。けテぶれマップはそのために機能させるのです。
自律から自立へ
「自立とは依存先をたくさん持つことである」とはよく言われることです。しかし自立の前には自律がある。自律とは自分をコントロールすることだと思っています。自分をコントロールして、自分で自分の学びを進めている学習者同士であるからこそ、力を合わせることができるのです。「自律できる個が協同的関係で結ばれるとき、自立的な組織になる。」こんなイメージです。
けテぶれマップも作り変えていく