葛原学習研究所の視点から見た「自由進度学習を始めよう」の批判的分析
1. 理念と基本構造における比較
「自由進度学習を始めよう」は子どもの主体性を尊重し、一人ひとりが学びの主人公になることを目指す点で、葛原流自由進度学習と共通する理念を持っています。特に「学びのコントローラー」を子どもに渡すという発想は、葛原氏の「学びの海を泳ぐ」メタファーと共鳴しています。
しかし、葛原学習研究所のアプローチには根本的な違いがあります。葛原流では「主体性を育てるためには明確な構造が必要」という認識が基盤にあります。単に「人生の主人公」という目標を掲げるだけでは不十分で、「けテぶれ」(計画・テスト・分析・練習)と「QNKS」(問い・抜き出し・組み立て・整理)という具体的な学習の道筋を示すことが特徴です。この文献では学習の枠組みについての言及が弱く、「どのように」学ぶのかという方法論が不足しています。
葛原流では「自由には責任が伴う」という厳しさも含まれており、テストなどの客観的な評価と自己分析の組み合わせが重視されます。一方、この文献では評価の具体性が薄く見えます。
2. 「心マトリクス」の視点から見た不足点
文献には、感情面での自己理解や葛藤への対応についての言及が弱いと言えます。葛原の「心マトリクス」は、「月」(考えて動く)と「太陽」(信じて思いやる)という軸で子どもの心理状態を可視化し、自分の感情をコントロールする方法を示します。
自由進度学習においては、モチベーションの波や「だらだら」「イライラ」といった状態が必然的に生じます。葛原流ではこれらの状態も含めて学びの過程と捉え、これを乗り越える具体的な方法を提示しています。葛原氏は「モチベーションの波を制御するのではなく、乗りこなす」という視点を重視します。文献では「振り返り」の重要性は述べられていますが、心理的な葛藤にどう向き合うかという視点が弱いと言えるでしょう。
3. 学びの土台づくりと深さの視点
葛原学習研究所では「地に足のついた学び」を重視しています。教科書の内容をしっかり理解することを基本としており、探究的な活動も教科書理解の土台があってこそ意味を持つと考えています。
文献では「自分のペースで進める」という進度の自由が強調されていますが、葛原氏は「自由深度学習」の概念も重視しています。単に速く進むのではなく、以下の5段階で学びを深めることを提案しています:
1. 知る
2. やってみる
3. できる
4. 説明できる
5. 作る(応用する)
特に「説明できる」から「作る」へのステップは、創造性と応用力を養う重要な段階です。この深さの視点が文献では十分に展開されていません。
葛原流では「最低限の明示」と「上限の開放」という原則で、基礎をしっかり身につけつつ発展的な学びも保証するバランスを重視しています。
4. 教師の役割と介入度に関する考え方
文献では教師を「ファシリテーター」と位置づけていますが、葛原流では教師の役割をより複雑に捉えています。教師は時に前で引っ張り、時に横で並走し、時に後ろから見守る存在であると考えます。特に重要なのは、子どもたちの学びを「発掘的に評価」することです。
葛原流では「即時に、明瞭に、発掘的に」評価することが重視され、教師は子どもたちの日々の取り組みから価値ある部分を見つけ出し、全体に還元する役割を担います。また、「いい授業を目指すな。システムを作れ」という提言は、個々の授業の質に過度に依存せず、学習システム全体を設計することの重要性を示しています。文献では教師の介入の仕方についての具体性が不足しています。
5. 実践的アプローチの差異
葛原流の強みは、理論と実践の一体化です。「生活けテぶれ」「漢字テスト」など、明日から学校で実践できる具体的な方法が示されています。また、「みんプリ」(みんなの問題集)のような協働的な学びの具体例も豊富です。
文献では理念が先行し、具体的な実践方法の提示が相対的に少ないように見受けられます。葛原流では「守・破・離」の考え方を取り入れ、基本を身につけてから応用へと進む段階的な成長を重視しています。
6. 評価についての考え方
葛原流では学力と学習力を区別し、単なる点数よりも「現在地からの成長」を重視します。特に注目すべきは「○・×・△」の三段階評価です。△は「自信がない」問題を示し、これが学習の質を高める重要な指標となります。
文献では評価についての具体的な方法論が弱く、自己評価や相互評価の具体的な枠組みが不足しています。葛原流では「大分析」のように、テスト結果と学習方法を関連付けて振り返る具体的な時間が設定されています。
7. 協働学習の質的違い
文献では協働学習の重要性を指摘していますが、葛原流では「同じ目的を持ちながら自由に探究する冒険者グループ」のような協働を目指します。単に一緒に学ぶだけでなく、異なる能力や個性を持つ子どもたちが自然と助け合う環境づくりが重視されています。
また、葛原流では週1回の席替えや自己紹介の時間を通じて、多様な友人関係を構築する機会を意図的に設けています。これにより、固定的な人間関係ではなく、多様な交流が生まれる環境を作り出しています。
8. 「学びの海」というメタファーの使い方
葛原流では「学びの海」というメタファーを用いて、従来の「船上教育」(教師が舵を取り、生徒は座って見ている)から、自分で泳ぐ教育への転換を説明しています。この比喩は極めて具体的で、子どもたちが学びの主体となる姿をわかりやすく示しています。
文献にもメタファーは使われていますが、葛原流ほど一貫した強力なイメージとはなっていません。イメージの具体性と一貫性という点で、葛原流の方がより強いメッセージ性を持っていると言えるでしょう。
結論
「自由進度学習を始めよう」という文献は、子どもたちの主体的・協働的な学びを促進するという理念において、葛原学習研究所の考え方と共通する部分が多くあります。しかし、葛原流がより優れているのは「具体性」「実践性」「体系性」の三点においてです。特に「けテぶれ」「QNKS」「心マトリクス」という三位一体の枠組みは、理論的裏付けと実践的有効性の両面から支持される強固なシステムとなっています。
葛原流は単なる「学習法」ではなく、子どもたちの「生き方」にまで踏み込む包括的なアプローチであり、この点において文献より一歩進んだ視点を持っていると評価できます。また、現場での5年以上の実践を通じて検証され、改良されてきた方法論としての信頼性も高いものとなっています。
この文献は自由進度学習の入門として価値がありますが、より実効性のある教育実践としては、葛原学習研究所の提案する具体的なツールやシステムとの統合が望ましいでしょう。