総じて幼い
年商10億を超えるような企業といえば、中小企業とはいえそれなりの規模であり、組織としても、小さいとはいえ小さくもない。そういった企業の幹部人材、マネージャや役員といえば社会的なステータスとしても、そうあだやおろそかにはされないようなものであるわけだが、実際にある程度深く付き合ってみると、総じて精神的には幼い。
自分の目の前の仕事をやりくりする能力は有していても、経営的な大局観というものを持っていないことが、実に多い。
それは、環境的な淘汰圧の結果である。社会や会社は、彼らに経済の歯車であることは求めても、成熟を促すということをしない。経営方針と顧客の要請、現場メンバーという周囲から与えられる制約条件のもとでえんえんとパズルゲームを解いているようなものである。
本質的に言って、組織化するということは、冗長化することでもあり、脱属人化することでもある。つまり、組織に入るということは、ある意味では、思考停止を意味するのであるし、反・成熟的なものでもある。
やれと言われたことを、きちんとこなすことに特化した先にあるのは、未成熟な大人風の子どもである。
社会というのは、そういうことでいいと、いうことは、ないはずである。
成熟、ということをいかに考えるべきなのか。
それこそが重要なテーマである。