組織的な意思
時々、組織がそれ自体としての意思を持っているかのように見えることがある
たとえばビッグモーター及び損保ジャパン等による組織的な不正の類について
ああした構図は、あの業界に特有のものではなく、あらゆる世間に見られるものである
おそらく特定の個人が企て導いたというよりも、利益目標や営業ノルマという淘汰圧の結果、各個人が自律的に協調し、共創された結果であると見るべきである
それぞれの企業に就職した個人の多くは、なにも最初から犯罪的な業務を志したわけではないだろう
おかしいなと思っても、これが前例だから、これが世間のやり方だからと教育されている間に、認知は歪んでいく
つまり、いち個人の単位で、どれだけおかしいと思っても、組織的に構成された場が、個人の行動に影響を与えるのである
こうした話は、犯罪的なものには限らない
例えば官僚組織も、個人を超えた意思の発現しやすい場のひとつである
いち個人としては、そこまで愚鈍な人もいないし、邪悪な人もいない、にも関わらず、その組織的な所産を観察してみると、実に馬鹿げたことしかできない存在なのである
表面に見える問題は、個別事案としての不正や失敗、非効率であるが、一歩踏み込むとそこには組織的な意思の問題があり、さらに一歩踏み込むと、淘汰圧の問題がある
そこに目を向けなければ、いくら個別の問題解決を頑張ったとしても、砂漠に水を撒くようなことにもなりかねない
例えば冒頭のsompoの話に戻ると、かの企業は、ここ数年、まさにパーパス経営と称して社風変革の取り組みに力を入れていたのだった
数字中心主義を脱却し、人間中心主義で生きて行こう、上位下達ではなく、個人個人の思いを起点としていこう、そのためには会社のパーパスの押し付けでなく、社員一人ひとりのマイパーパスを掲げていこうという、それなりに高邁な精神による取り組みだった
社内の受けは、おそらく、そんなに悪くはなかったと思われるし、世間的にも成功事例としてアピールされていた
その矢先のビッグモーター事件であり、関係各位の脱力感は、察するに余りある
しかしそもそも、マイパーパスなる主張は、明らかに単なるキレイゴトであって、嘘八百だったのだ
思うに、かの取り組みがウケていたのは、ドラッグ的なまやかしとしてだったのではないか
報道やSNS上での各種呟きから察するに、彼らの心は、環境的なプレッシャーによって、完膚なきまでにスポイルされている
スカスカのカスカスにされた、荒涼とした砂漠のような景色が広がっている
不正行為かどうかが問題でなく、生きていけるかどうかが問題である、とは、そういう精神状態である
そのように考えてみると、某カルト宗教の問題や某芸能事務所の問題と、本件はまったくもって同じ穴の狢であることがわかる
おそらく、組織風土が腐っているときに、風土変革を主題にすることは、無意味なのだ
どの企業も、その経済活動の現場は四面楚歌である
経営者の、封建的ことなかれ主義によって
顧客の、威圧的消費者万能主義によって
家族の、世間体第一主義によって
よってたかってタコ殴りにされていて、もう逃げ場はどこにもないのである
ここにきて、新興企業の○○テック流行が、地獄に輪をかけている
考えなくてもいいですよ、胡座をかいていれば問題が解決するんですよ、汗なんか、もう、かかなくて良いんですよと、甘い言葉を囁く
聞く方は、どうせ嘘だと、心の何処かで気が付いていたとしても、耳に痛い真実より、心地よい甘言に、クラッとくるのである
そうやって、己自身により、己自身を蝕み続けているのが、この、現在なのである