幸せに淡白で、不幸への耐性が強い
もしかしたら、現代の生き地獄とは、人々が幸せを求めることに、淡白ゆえに起きているのかもしれない。
いまどきは、学歴職歴がある種の社会階層を形成しているわけだが、どの階層においても資源のぶんどり合戦に汲々としていて、過当競争状態にあり、実に多くの人が生きづらさを覚えている。
競争状況は、自分の生存基盤を脅かされるという感覚により励起され、それは時間、空間を超えて広がっていく。
しかし、ごく単純に考えると、幸せの条件は
・食べることに心配がない
・人間関係が窮屈でない
・それなりに周囲に貢献していて、自分の存在価値が感じられる
ということである。
そして、それなりにちゃんと自己分析して、それなりにちゃんと環境を選べば、これらを手に入れるのは、実は、そんなに難しくない。
この、それなりにちゃんと考える、というのは、簡単なようで難しい。しかし、本当はすごく簡単なことなのだ。
本当に幸せを求めるならば、そしてそのために正しい順序で考えるならば、そのヒントやきっかけは、日常のあらゆる局面にある。
簡単なことなのに、実行している人は少数派である。なぜ少ないのか。幸せというものを、求める強度の問題なのかもしれない。不幸に耐えられるタフさがあるうちは、確かに、求めようという気が起きない。