前進のための根源的二元(プロジェクトのリーディングとマネジング)
いかに未知に満ちたプロジェクト状況であっても、いやむしろ、未知に満ちているからこそ、どこかしらから、先陣を切らないと、何も始まらないものです。しかし、あまりに未知の要素が多い場合、その目標が適切なのかどうかも、よくわかりません。
通常、前に進んでいる、ということは、目標に対して近づいている、という事態を指します。
ルーチンワークの世界なら、それは非常にわかりやすいものです。一方、プロジェクトの世界では、何かをやってみた結果、目標が変わってしまったり、ある段階に進んだと思っても、また逆戻りしてしまったりして、行動量と進捗が相関しないことが、しばしばあります。
ここで、リーダーとマネージャという、ふたつの言葉を考えてみたいと思います。
プロジェクトの先陣を切る人を、プロジェクトリーダー、と言う
プロジェクトの差配をする人を、プロジェクトマネージャ、と言う
このふたつの言葉があるということは、実に興味深く、示唆的なのです。なぜプロジェクト組織のトップを指すポジションの名称に、2通りあるのか。
ITゼネコン、受託開発的な世界では、プロジェクトマネージャがトップであり、リーダーとはあくまでパートリーダーを指します。
一方で、企業経営や組織開発的な文脈では、リーダーこそがエラい、リーダーこそがあるべき姿で、マネージャとは、旧態依然とした、否定すべきものとされることが多いのです。
つまり、リーダーとマネージャは、文脈により上下が逆転するという、不思議な現象が起きるのです。
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リーディング(統率)とマネジング(管理)、これはプロジェクトの前進運動における根源的二元要素であります。
リーディング(統率)とは
旗を振る、ということ
先陣を切る、ということ
環境の変化により、突き動かされるときもある
自発的欲求、動機に突き動かされるときもある
リスクや不確実性があっても、踏み込む、ということ
ときには、なにをやりたいかが不明瞭であったとしても、まず、やってみる、ということ
やまとことばでいえば、「ありたきこと」のために「やってみる」ということ
脳の機能でいえば、辺縁系的なものである
つまり、生存を継続するための直感、快不快、良し悪しに根ざしている
マネジング(管理)とは
帳面をつける、ということ
情報化する、ということ
やろうとしていることを見極め、未来を予測し、成功確率を計算する
資源を差配し、選択肢を比較考量する
つまり、やまとことばでいえば「かくあるべし」のために「やりくりする」ということ
誰かがやらねばしょうがないもの
脳の機能でいえば、大脳皮質的なもの
つまり、言語化、モデル化、パターン化、確実性、再現性を志向する
こうして見てみると、未知の要素が多い、プロジェクトらしいプロジェクトでは、マネジングをしている場合でなく、リーディングが肝要であり、ルーチンワークに寄った取り組みでは、その逆だ、ということがよくわかります。
しかし、この2つの言葉は、実に複雑骨折しているように思えます。
例えばドラッカーの「マネジメント」は、リーディング的なニュアンスに、実に横溢しているのです。「顧客の創造」といった言葉は、実にプロジェクト感のある言葉です。
だからこそ、マネジメントとは「管理」と訳すべきではない、なんて言われたりもしているわけです。
そうした考えには、一理も二理もありますが、まぁ、素直に管理と訳しておけばそれでいいのではないか、と思います。
「マネジングとリーディングは、どっちがエラいのか論争」は、きっと永遠に終わらないのでしょう。それぞれの「とは何か」を、内実を固定する形で決着しようとする試みも、永遠に完結しないのでしょう。
なぜならそれらは、陰陽なのですから。
つまり、どちらかだけでは、成り立たないもの
互いに補うもの
極まると、対極に転じるもの
マネジングを極めていくと、リーディングになる
その逆もまた然り
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