プ譜の記法論
粒度と入れ子構造について
プ譜は、実に融通無碍に記述ができる形式である
いち企業の栄枯盛衰も描ければ、ひとつの作業の進め方でも描くことができる
ひとつの言葉(ノード)で現象を表象するという人間の思考原理による
したがって、あらゆる施策を下位方向に、無限に細かくすることもできる
逆に、複数のプ譜をより上位方向に無限に統合していくこともできる
最適なプ譜の表示サイズとは
原理的には、人間の思考の数だけプ譜を描くことが可能である
当然ながら、すべてを表示する行為は視認性を著しく下げることになる
A4ないしA3程度の表示サイズが、人間にとっては最適であると考えられる
施策と中間目的は多段階階層で記述されるべきか
上記の議論から、原理的には多段階階層で記述することは可能であることは言うまでもない
実際の運用上は、視認性と認知負荷の低減の観点から、勝利条件、中間目的、施策、の三階層が最適と考える
ひとつの施策から複数の中間目的に寄与するか
これについては、議論を要するが、後藤の私見としては、ひとつの施策から複数の中間目的に寄与する構造となっている場合、中間目的の表現を修正することでシンプルなツリー構造にリファクタリングすることが可能になると思われる
その場合、言語的な認知負荷が増えてしまうのか、下がるのかについては、これまた議論を要すると思われる
仮説としては、関与する人々の文脈共有状態に依存するのではないかと考えられる
文脈共有こそ、プ譜の記法論における核心的テーマ
極端な話、勝利条件の表現が「あれをあれする」といったような、抽象化の極みのような文言であっても、良い
このような言明が意味をなす状況があったとしたならば、その背景として、おそらくこの言葉が過去において、その当事者達にとって意味をなした(そして印象に残った)経験があったはずなのである
例えばそれは、こんな会話だったに違いない
「弱りましたね」
「どうします?」
「どうしましょうか」
「ここは、あれをあれするしか」
「やっぱり」
「あれを」
「ええ」
「あれする感じで」
「はいはい笑」
客観的に意味が通じる表現とするならば、あれをあれする、とは、
そう簡単には解消しない障害を
その組織や状況に特有の事情を勘案し
意図的に働きかけ、解消させる
といったことである
様々な困難を経たプロジェクトチームには、こうした独特のエクリチュールが発生する
ただ口当たりが良くて、行儀がよくて、誰からも異論の唱えにくいミッション、ビジョン、バリュー、行動指針、クレド、その他の組織表現は、往々にして、有事の際に役に立たない
いまこそ、「勝利条件=あれをあれする」なのだとったような、極めて深い文脈共有に基づく、多重メタ構造的な、数々の原則と矛盾を包含しつつそのうえで進むべき方向を示す、さんな共通認識が生まれる瞬間はまさに「プロジェクトに神さまが降りている」としか言いようのないような、えもいわれぬ瞬間である