プロ型教室Vol.1_テキスト版
ひとくちに新規事業といっても、
「appleが新しいデバイスを世に問う」
「子育てを終えた主婦がカフェを始める」
「機械メーカーがITサービス要素も取り込んだ新しい業態を探る」
「異業種の企業がファミレスのフランチャイジーを始める」
「新規事業立ち上げの専門家集団が、新規事業を欲するクライアントのために、その業務の委託を受ける」
「サラリーマン生活に限界を感じ、退職してからとりあえず一人で法人を作ってみる」
「長年の夢だった事業に、貯金をはたいて挑戦する」
など、千差万別で色々とあり、当然ながら、一概には語りきれないところはあるわけですけれども、一旦ここでは、ご質問の内容から、以下の状況を想定しながら、お話ししたいと思います。
社内新規事業に、会社の仕事として取り組んでいる
ITなり、機械なり、なにかしらの「製品の開発」が主題的に扱われる取り組みである
その案件の投資規模やテーマ設定は、社業や会社の屋台骨を揺るがすようなものではない
ダイソーさんご自身にとって、人生や生活をかけた大勝負、といったものではない
序盤には余裕があり、終盤慌てる、という流れは、どこか「夏休みの宿題」に似た感覚があるな、と感じたのでした。おそらく、自分の出資でやる新規事業とか、自分のライフワークの実現、あるいは生活に直結するようなものだと、もう少し、切羽詰まった感覚が出てくるのかな、と。
つまり、今回は「仕事としてやる新規事業」の話、ということですね。
<序盤について>
確かに、ものづくり、という意味では、序盤は余裕があるのですが、プロジェクトという意味では、序盤に余裕があってはいけません。つまり、進出しようとしている事業領域における世間の動向、活用しようとしている技術やフレームワーク、あるいはその新規事業活動の母体である経営組織の意図、意思決定の仕組み、あるいは各種の契約における注意事項など、より深く知っておくべきことはたくさんあるはずだ、ということです。
ダイソーさんの立場は、意思決定をする立場でないが、中盤、終盤においては各種の問題を収束させるために実働しなければならないわけですから、後々発生する問題をあらかじめ消しておくことは難しいかもしれませんが、対応できる引き出しを増やしておくのが、序盤の処し方と考えます。
後藤がよくやるのは、関連書籍をとにかくたくさん買っておき、暇があったら読む、ということです。意外な発見がたくさんあるので、お勧めです。あとはやはり、王道ですが、関係者同士で食事したり、お酒を飲んだり、遊んだり、雑談したり。あるいは、技術的な面のテストや実験も良いと思います。
「目移り」自体はネガティブなことではなく、やはり、序盤の自由度が高い状況だからこそ、一定のゆらぎを活かすということは大事なことです。
こうしたことは、それこそ終盤になって慌てているときにはできないことなので、まさに序盤にこそできるし、する意味のあることだと考えます。また序盤に、一見無関係な活動をたくさんしておくと、それが伏線になって、終盤になって活きる、ということもあります。
角度を変えて考えますと、「序盤にトラブルの芽を摘んでおきたい」のは、ものづくりに責任を負う側からすると、非常に自然な感覚ですが、序盤で湧く心配ごとというものは、杞憂に終わることも多いものです。一方で「嫌な予感」は、高い確率で的中したりしますが。さらにいうと、嫌な予感は、予測できたとて、最終的には避けられないことも多いですね。笑
そういう意味でも、ダメージコントロールの策や、プランBの選択肢を増やす意味で「知ること」が重要と考えます。
<終盤について>
どれだけ序盤で対策していたとしても、やはり、完全にスムーズで問題のない終盤はありません。後藤の体験談としては、ギスギスすることを否定的に捉えすぎてしまったがゆえに、余計に自分もギスギスし、周囲も余計にギスギスさせてしまった、ということがありました。特に、終盤のドタバタでは、自分の前工程や上流、意思決定者へのうらみを募らせていました…(会社勤め時代を思い出し、遠い目)
絶対にあってはいけない筋違いなこと、理不尽な、いや不条理な経緯で面倒な作業や責任を押し付けられた、と感じるようなことも、結構、ありました。事実関係としては、いま思い返しても、そうだったとは思うのですが、そして、正義の心でそうしたことを糾弾し、結果として、自分が一番、チームをギスギスさせていた、という…(再び、遠い目)
いま思うのは、それすらも受け入れるというか、あることを前提に、どう活かすか、という、やわらかい視点も、あっていいのかな、ということです。少量のギスギスを、スパイスのように効かせるプロジェクト運営ができたら理想なのかなと思います。まぁ、これは、文字通り理想論ですけれども。実際、スパイスがききすぎたり、焦げたりして、苦く、変な味になったカレーのようなプロジェクトも、多いですね。笑
現実論としては、その取り組みと自分との間の契約関係を理解しておくこと、が大切、といえるかもしれません。自分の人生にその仕事が与える悪影響から、適度に分離することができれば、問題があったとしても、ある程度は健康的に対応できると考えます。
おそらく、ダイソーさんは、ポジションとしては「専門家・外部パートナー」か「最前線キャプテン」のどちらか、あるいはこれらの中間的なポジションなのだと思います。このポジションにいる人は、有能な「歴戦の名将」と組む、というのが、幸せになるための唯一解であり、そうでない新規事業プロジェクトはどうしても、結果に結びつきにくいものです。
つまり、ダイソーさんをこのように悩ませている根本的な原因は、意思決定者の下す判断にある、ということです。もちろん、どんな取り組みも、関わる人同士の相互作用により展開していくものなので、誰か一人に責任があるということではなく、起きたことは、みんなのやったことの結果、であるわけですけれども。
とはいえやはり、社内新規事業は、意思決定者、つまりその取り組みの「オーナー」や「責任者」の力量いかんによって、結果が随分と大きく左右されるのは間違いないのです。
では、社内新規事業における有能な意思決定者とは、どういう存在なのか?
簡単に言えば、お金を出してくれるお客さんや出資者を連れて来れる、ということになります。
マス相手の事業であれば、マーケット感覚が優れている、ということになるでしょうし、toBのビジネスであれば、ビジネススキーム理解や人脈、提案力、営業力ということになりましょう。もっといえば、顧客のリストを持っていて、コミュニケーションができる、提案できる、いますぐ売れる、という意思決定者こそが、正しく判断し、意思決定ができるというものです。
新規事業における意思決定者の資質、資格とは、下記の問題に対する判断能力であり、またその意思決定において社会的責任を負うことができる人、と言えるでしょう。
https://gyazo.com/4e67836a1324e185ebdf79ba51b77e34
事業作りにおいて、こうした判断を下す立場は、エンタメ界ではプロデューサー、野球界ではGMと呼ばれます。ビジネスプロジェクト一般では、プロジェクトオーナーと呼びます。
判断のための材料を提供したり、下された判断に従い、提供された資源を活用して実際に構想を具現化するのが、監督とか、ディレクターとか、プロジェクトマネージャーと呼ばれる役割です。
(文脈によっては、プロジェクトマネージャーの役割に前者の要素を含むこともあるようですけれども)
映画監督の押井守氏は、とある番組で面白い言い方をしていました。いわく「プロデューサーは、携帯電話ひとつで仕事する人種だ。そして、嘘つきだ」と。笑
さておき、ダイソーさんご自身は「プロジェクトの技術に関するサブリーダー的なポジション」とのことですので、きっと、主な役割としては、後者に近いのだと思います。意匠や機能、人材や体制について具体的な案を考え、提言する、ということなのだと思います。そうした業務は、それ自体が「意思決定」の内実に、かなり深く関わるので、どう振る舞うべきか、悩ましいことと思います。
我ながら意外な結論ですが、最終的には「仕事と思って割り切る」のが、なんだかんだ、自分にも周囲にも、良いのだろうな、というふうに、感じた次第です。