プロジェクト学と東洋哲学が邂逅すべき歴史的必然
初めに、進化があった。脳細胞の増殖能力を暴走させたコピーエラーは、人類に、呪術、すなわち、念ずる能力をもたらした。
抽象概念を操る力は、文明を生み出した。動植物を家畜化し、異民族を奴隷化しながら、クニを肥え太らせる、悲しきルーチンワークの体系が組織化されていった。リーダーシップと指揮命令系統が、クニの盛衰を占った。
文明とは、王権である。そして、文字こそが、それらを支えるキーテクノロジーだった。
大陸の人々が、血で血を洗い、富を生み出し奪い合うのを尻目に、豊かな山と、母なる海に抱かれ、悠久の狩猟時代、プロジェクトという僥倖を暮らし続けた民族が、東の果ての列島に、いた。
彼らは、文字と出会い、ウタを残すのに便利だなと思った。花を、風を、鳥を、月を、虫を、四季を、恋を、暮らしを、歌い、借りてきた文字を使って、書き残すことにした。文字の、記録能力だけを借りておけば、幸せなままで暮らすことが、できたのかもしれない。しかし、文字の呪能は、それを許さなかった。ブービートラップのように、ルーチンワークの輪廻を萌芽させたのだった。農耕の、圧倒的な生産性は、素朴な人々を、否応なく巻き込んだ。
ルーチンワークは、未来へつづく永遠を約束してくれる。しかしそこにあるのは、悲しみと隣り合わせの安心である。
ルーチンとは、規範である。こうあらねばならぬ、を人間に、押し付ける。ときにそれは、自己否定の引き金となる。自己否定の呪いは、親から子へ、子から孫へ、永遠に相続されていく。安心という名の苦しみは、累積的に計上され続けていく。
東の島々の先祖は、慣れない手つきで王権を輸入し、その違和感を、進歩なのだと言い聞かせた。
皮肉なことに、その頃、世界の最先端文明が、「その先の奇跡」を生み出しつたあった。ルーチンワークの哀しみ、苦しさを超克する哲学である。
全ては変わっていくと悟り、金や物への過剰な執着を断ち切ること。認知的快楽や身体的欲求を抑制し、足ることを知ること。刹那主義、享楽主義に陥ることなく、いま、ここ、目の前、この瞬間を、生きること。明るく、ただただ明るく、幸せに生きること。そんなことを、説いた人がいた。
それは、ルーチンワークの悲しみを超克する、実に優れた、ポスト文明論であったのだ。
その教えは、理論であり、同時に実践であるという、奇跡だった。
教えは、人々の幸せを願う王により、テキスト化され、普及が図られた。しかし、悲しいかな、それにこそよって、次の悲劇が生じたのであった。制度は利権を生み出し、利権は教えを腐敗させていった。
まず現れたのは、ただいたずらに複雑化させ、慰みものにするものだった。政治的な利害によって、内容を曲げるものもいた。普及すればするほどに、教えはめちゃくちゃになっていった。
歴史はそこでも、終わらなかった。教えは、何度も何度も、その生命力を失っては、また再び息を吹き返した、そう、まさに、不死鳥のように。時を超え、真っ当な価値観を蘇らせる中興の祖たちの手によって、磨き直され、磨き込まれていった。
いつしか、教えには、系統樹のような分岐が発生していった。人々は、どの教えが本当なのか、わからなくなり始めていた。
そうこうしているうちに、いつしか教えは国を渡り、海を渡り、東の果てに届いた。
東の果ての人たちは、教えにどこか、懐かしいものを感じた。
何も考えず、ただただ素直に受け取ることが、できたはずだった。しかし、農耕も、政治も、戦争も、あまりに深く、その暮らしに影を落としていた。先進国への劣等感、追いつけ追い越せの焦り。そうしたものと、悠久の縄文によって刻まれた「素直」という名の遺伝子が、常に、葛藤していた。
葛藤は、時に、偉大なる哲学者を生み、時に、抒情溢れる詩人を生んだ。
空海、法然。
一休、利休、そして、芭蕉。
熊楠。魯山人。岡本太郎、白川静。
この列島の、思想の背骨を成したのは「反抗の系譜」であった。
彼らが切り拓いた場所は、心の原野だった。
そこは、「禅の境地」「侘び寂び」等と呼ばれた。
その本質には「おかしみ」があった。
ありのままを、受け入れ、笑うこと。
笑うことを、意志すること。
プロジェクト =狩、遊、狂、俳、動、聖
ルーチン =農、働、常、憂、静、俗
決してまじわらぬはずのこの対極。しかしどこかで繋がり合い、表裏一体不即不離である対極。
絶対的矛盾における自己同一に、弁証法は無効である。ただありのままに生きよ。
時を超え、宗派を超え、党利党略を超えて、生きるための、心の系譜は紡がれていった。
学術、芸術、食、娯楽、宗教、音楽…あらゆる領域で、開くことに成功した人は、新価値を生み出してきた。
改めて、プロジェクト、という言葉を定義したいと思う。それは「未知なる価値を創造する」ということである。
では、ルーチンワークとはなにか。それは「既知なる価値を再生産する」ということである。
プロジェクトとルーチンワークは、時に互いに対立しながら、時に相補いながら、人類の歴史を織りなしてきた。
我が国における東洋哲学の受容と錬成の過程は、まさにプロジェクトとルーチンワークの相生・相剋過程と同型なのである。
プロジェクト学と東洋哲学が邂逅すべき理由は、その一点にのみ、存する。