プロジェクトの箴言
もしあなたの目の前に、途方もなく未知な、その果てがどこまで続くのかわからないほどに未知なるプロジェクト状況があらわれたとしたら、あなたは決してそれに飲まれてはいけない。あなたがそれを、飲まなければいけない。
正しく問題を見抜かなければ答えは出ない。答を出さなければ、どんな問題を解いていたのかもわからない。
殻を作れ。思春期のように。殻を壊せ。青春のように。
目の前の一瞬に、無限の意味を重ねることが、または、そんなゼロにも等しい可能性を捕まえることが、唯一の活路である。
原則には必ず例外が伴う、という原則がある。あらゆるもは変わっていく、ということだけは、変わらない。
自分にとっての当たり前は、相手にとっての当たり前じゃない。そんなこと、当たり前だろ?
意識の高さを自認する人間は、得てして「その轍は踏まないぞ」という轍を嬉々として踏むものである。そうでない人間は轍を踏まないことを目標としないため、やっぱり踏んでしまうものである。
決心とは、それによって起きる良いことも悪いことも、丸ごと引き受ける覚悟である。その決心が、何かしらの根拠に基づくとき、意識するとせざるとに関わらず、その心の動きは信仰に支えられている。
テストのように本番をやり、本番のようにテストをやる。
文化は生産の余剰の産物であり、戦争は不足の帰結である。
勝たなければ負ける勝負に百戦百勝するよりも、負けなければ勝てる勝負形を、大一番で作る方が、実践的には、遥かに優る。
思い切りが悪い人間には、プロジェクトは成就させられないものである。そして、取り得るギリギリのリスクを見極め、それを選択しなくては、思い切ることはできない。
失敗しても致命傷にならない案件は、当たり前ですが、失敗しても致命傷とはなりません。
そういうときに手を抜く人もいますが、そういうときだからこそ、意欲的に挑むことをお勧めします。失敗が許されないような案件では試せない、新機軸や新構想を試みるのが良いでしょう。
乗るか反るかわからない試行を、絶対に失敗させないぞという意気込みで、乾坤一擲、一生懸命やる。
この、乾坤一擲、一生懸命というのが、大事です。成功するかどうかは、問題ではありません。問題は、いかに失敗するかです。成功による「果実」よりも、はるかに重要なのは、失敗による「肥やし」なのです。