プロジェクトと法・契約
法の抜け穴、と、よく言われるが、その内実とは一体、いかなるものなのか。
わかりやすい順に考える。
①技術革新に法が追いついていない部分を見つけ出し、本来の法の精神に反することを法律の範囲内で実現する
②すでに整備されている法のなかから、不具合や矛盾点を探し出し、以下同文
③特定の個別契約を生み出す行為において、法体系や司法制度の実態を見越し、以下同文
④すでに締結された個別契約に対して、その内容を踏まえ、法務上の取り扱いを厳密に精査したうえで、以下同文
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ビジネスにおける契約締結の目的は、将来の紛争予防である、とはよく言われるわけだが、はたして、この場合の予防とは、なにを意味しているのか。
揉め事が起きないように、契約の内容について互いの認識を一致させる
起きた場合に備えて、解決の道をあらかじめ合意しておく
万が一裁判になった場合に、自分にとって有利な展開が見込める内容とする
相手に対して、勝つ見込みがないと認識させ、裁判の発生そのものを抑止する
このように考えていくと、契約とは、契約の中身ももちろん大事なわけだけれども、契約書を交わす過程やそのなかでの相互理解、交渉、といったものも同じくらいに重要であることが判明する。
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そういうことを考えていくと、冒頭において言及した「本来の法の精神」の内実が問題であるとわかる。
近代法における実定法の範囲内で考えると、自由と平等、これにつきる。
自然法の範囲で考えると、どうなるだろうか。
搾取の否定
が、根本原理にあるのかもしれない。
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自然法について考えるのが、法の探究における究極の問題設定なのかもしれない。
そもそも、法とは、人文科学的における法律だけでなく、自然科学における法則をも意味する。
それらはまったく別個のものにみえるが、そうではない。
いずれにも共通するのは
ある条件を満たすと
ある効果が発生する
ということである。
違いは
前者は、人間が恣意的に作るもの
後者は、人間が自然から見つけ出したもの
ということである。
このあたりの概念の揺らぎは、洋の東西を問わない。
https://gyazo.com/2c010ea5225bec803d80fe32d34946f8
なぜ揺らぐのかというと、おそらく、人間の認知系もやはり、自然物に基づくわけで、いかに、法律が恣意的に定められたものとはいえ、ある種の自然法則の結果であるような面も否定できないのである。
自然法、という概念自体が、その存在を暗示している。
近代法がもう少し、自然法の自然な反映物であったならば、あえて「啓蒙」しなくても良かったのかもしれない。