プロジェクトと仏教②「人類はなぜ、仏教的な考え方を必要としたのか」
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こういうふうに整理してみると、ここ100年ぐらいの科学技術による社会変革の勢いが、いかに猛烈なものなのかを思い知らされる。
と、同時に、科学技術やイノベーションが、人類を幸福にしたのだろうか、ということも、考えざるを得ない。
幸福にしたかどうか、だと話が大きすぎるかもしれない。根本的な問題は解決したのか?と、問うた方が早いのかもしれない。
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おそらく、ブッダという人は、「人為的な制御の論理では、人類は幸福になれない、いくら物質的に豊かになっても、いつかどこかで矛盾に直面し、争いや暴力、悲しみに到達してしまう」ということに、農耕(いまふうに言えば、アグリ・トランスフォーメーション、的な社会変革運動)が普及した直後に、気づいて、その次の思想を生み出した最初期の次世代人類の一人、ということなのだと思われる。
「の一人」というのは、ブッダ自身、悟りを開いたのは自分が最初ではなく、自分の前に7人いた、ということを語っていたそうで、おそらくその通りである。確かに、ヴェーダ期におけるウパニシャッド哲学のキーコンセプトに触れてみると、原始仏教の萌芽的なものが見られる。
またその後の各時代において、同じ水準に到達した人は、枚挙に暇がない。
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