ドラマ「お登勢」に寄せて
NHKの古い時代劇「お登勢」が再放送されているのを観て、プロジェクト的な面白さに横溢した佳作だと思った。
この作品のテーマは「変節」である。2人の主人公、登勢と志津のうち、登勢は純愛を貫き、志津は生きる為に変節を重ねる。個人の生活誌における忠義と変節の物語が、家の興亡に影を落とす。家と国家の間にある関係も同形である。環境変化によって、構成主体が変化を余儀なくされる。その紆余曲折が、時間とともに拡大再生産されていく。時代における大状況の影が、四国の片隅の貧農の娘にかかる。実に見事なレイアウトである。
時は慶應年間。当時、この国は勤王か佐幕かで大いに揺れていたのだった。徳島藩は、まごまごしているだけで、なにもできなかった。何もできないうちに、大勢は決してしまい、なんとなく勤王側に収まった。そのダサさは、太平洋戦争における大本営にも、現代の大組織にも通じている。
しかし、もしかしたら、まごまごすることは、生き延びるために、必ずしも悪いことではないのかもしれない。あれかこれか、どちらかを選べ、といわれたときに、ふたつの選択肢を留保する、ということである。家中に、勤王も佐幕も、飼っておく。時代が動けば、動いた方にあわせていく。両方にベットしておけば、負けはない。しかしそれは、格好がつかない。格好がつかないものは、観客は見たくない。成長のないものは、つまらない。日和見というのは、武士の名折れである。名こそ惜しけれ。
だからこそ、純愛を貫き、下剋上をしていく登勢が主人公に配置されている。
志津は変節を躊躇わない。家名を汚し、夫から離縁され、実家から勘当されながらも、しぶとく次のツテを見出し、縋り、生きていく。ドラマでは内心が描かれない。それが演出として素晴らしい。父親には「ここまで性根が腐り果てていたのか」といわせる。母は「それでも娘です」という。
奉公人である儀平は、いよいよ藩が官軍として出征すると聞き、憤慨する。「そんなことをするぐらいなら、上から下まで雁首揃えて、腹を切って死んでしまえ」と悪態をつく。それはそうだ。白足袋、浅葱者と、人をその出自で差別し、社会の上座にさんざん胡座をかいておいて、最後の最後で変節し、自分だけは生き延びようとするなど、浅ましいという以外にない。どこかで報いを受けなければ、道理というものが、通らない。因果応報とは、そういうことである。
しかし、そのうえでなお、ジェームス三木が肯定的に描きたかったのは、きっと、志津とその母だったのではないか。生きる為に、変わっていく。そのギリギリのところでは、恥や外聞などとは言っていられない。そのリアリティ。名著「俳句的生活」に「俳句は自殺の対義語である」という一節がある。まさしくその通りである。苦汁に塗れながら、それを見届けること。それが、生きるということである。坂口安吾が、生きよ堕ちよ、といったように。
このドラマは、無頼派の血を引いているようである。この評論を書く筆者もまた、その末裔のひとりなのだろうと思う。