テクノロジーの行方
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テクノロジーの行方 (21世紀問題群ブックス 8) 単行本 – 1996/7/24
吉川 弘之 (著)
古代
ピラミッドや建物の建造、灌漑工事、農耕等は「非熟練者の高度組織化による生産」によって行われていた
例えば「運ぶ」という要素作業についてはは、人間は特別な教育を受けなくても、高度な能力を持っている
命令者は、この能力によって実行可能な作業をいかに集約するかに腐心すればよかった
生産装置としての人間は、幅広い能力をもった、いわば万能なものである
一方、ひとつひとつの作業は単機能作業であった
中世
織物機械や農耕機械、運搬装置、工作機械など、単純ではあるが、目的とする作業を正しく行う装置が生まれた
ここには、古代にはまったくなかった、人間機能の分割という思想がある
中世の技術者たちはそれぞれの場所で個別要求にこたえるべく個別の機械を作り出していった
中世の人たちは、ロボットを作ろうとは思わずに、単機能を選んだのだった
もし中世の人たちが最初からロボットを作ろうと発想していたら
木製の、いくつかのジョイントを持つ人形のようなものを作ったかもしれない
それによって、ひとりの人間の作業における重労働を、軽労働で済ませられたかもしれない
現代の邪悪
地球環境破壊
資源の枯渇
事故の巨大化
飢餓と豊富の共存
技術パラダイムシフトにおいて、数ある選択肢のなかから成功する技術を選択するためには
社会の状況を見極め、古い技術の原理にこだわらず、新たな技術原理を創出する覚悟
技術は製作者が一方的に使用者に与えるものではなく、両者の間でコミュニケーションが可能であること
誤った産業移行説
第2次産業(製造業)から第3次産業(サービス産業)への移行が、情報化という状況と重ねて論じられることが多いが、これは誤解である
人工物の機能とは「それを設計した設計者の意図が、その人工物を使用することによって発現したもの」
これは、設計者が、使用者に対して、ある種のサービスを、その人工物を媒体として提供している、と考えられる
サービスとはもともと身近な者同士の日常的な行為そのものであったが、次第にそれが広範化し、不特定多数にサービスを提供することになった(経済的な制度により、サービスが経済的価値を与えられるようになった)
いわゆる製造業で作られる諸製品も、実はサービスを提供するための媒体であった
ここで、製品は大量生産されるものなので、伝達装置というより、増幅装置である
その意味で、製造業とはそもそもサービス産業であるわけで、第2次産業(製造業)から第3次産業(サービス産業)への移行という考え方は、意味をなさない
現代技術によってもたらされた変革とは、落語や駕籠といった、いわゆる狭義のサービス業(提供者が直接受け手にサービスする仕事)が、これがマスコミと鉄道に発展した、ということである
乗用車を作って売るのは製造業であり、サービス産業ではない、というが、そういうことではなくて、乗用車も、サービスの増幅装置にすぎないのである
サービスを2種類に大別する
メッセージ型サービス:受け手に間接的な効果を引き起こすもの、受けたサービスはその場ではとりあえず効果がなく、いずれ受け手の意思によって利用可能なもの、主として情報的なもの(情報処理、通信等)
マッサージ型サービス:サービスを受けた時点で効果が起こるもの、主として身体的なもの(輸送や家事補助等)
こうして見てくると
ものから機能、という問題は歴史的にいって必然性をもっている
ものを所有するというのは媒体の存在様態によってたまたま一時期生じた経済的状態に過ぎない
機能を買うということは、本質への回帰である
サービスによって価値づけられた情報が場をつくり、そこに人工物が成立し、分配され、使用され、廃棄されていくというモデルを描くことができるはずである