エディトリアリティ
最近
エディトリアリティ、という概念が、気になっている
映画でも、小説でも、論文でも、それが頭に入るかどうかは、エディトリアリティで説明できる気がするのである
エディトリアリティとは、おそらく
意味分節の最小単位、なのだろう
それはおそらく人間個人に独特なものだと思われる
表現物が「わかる」感覚とは
それがもつ固有のモードと、解釈者のエディトリアリティの体系が、ある種の共振を起こしているのではないか
それは、たぶん、繋がる、という感覚なのではないか
あるはずがないと思っていた領域に、相同性が発見される、という感覚、喜び、なのではないか