ITツールを業務に導入するには
よくある勘違い
流行ツールで面倒な作業を自動化したい
ベンダにお金を払えばやってくれると期待
本当の順番
まずは事業構造を整理する
次に経営戦略を定める
そして業務手順を設計する
人間とITの分担を決める
技術やフレームワークを選ぶ
実験や検証を行う
ユースケースを確定させる
費用対効果を計算し投資計画を立てる
開発,実装し、業務に配備する
気になる部分を改善する
ざっくりとした言い方をすれば
前半部分で機能や仕様を確定できるときのことをウォーターフォールと呼び、後半部分でそこを模索するのをアジャイルと呼ぶ
どこからどこまでを内製するか、外部委託するかによって、頼るべきベンダなりコンサルなりも異なっていく
技術や成功事例の話の聞き齧りから「やりたいこと」が出てくるような順番だと、運がよくて収支トントンのプロジェクト、ほとんどは投資回収に失敗する
「やりたいこと」が先にあって、技術の原理、メリットデメリットも理解した上で限界まで絞り尽くして活用する、という順番でやっていくと、イノベーティブなプロジェクトになる
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ITツールを業務に導入する際の組み立てには、順番がある。
なぜか。
なぜ、そんなに、面倒なのか。
と、疑問に思う人も、いるかもしれない。
ITツールとは、どこまでいっても、ただただひたすらにルーチンを回す機械だからである。
(だからこそ、型にハマると破壊的イノベーションになるが、外すと単なる無用の長物である)
人間は、それなりに柔軟性があるので、いかに機械的なルーチン作業だと思っていても、細かなところで、無意識に、繊細な判断を行い、例外対処を行っている。
人間の作業を機械に代替するためには、アナログな感性でやっている、無意識で自然な振る舞いを、極限まで分割し、精錬・昇華・形式化しなければならない。
この順番を誤ると、ただひたすらに無駄な開発コストを垂れ流すだけでなく、無駄な維持コストまで背負うことになる。
最悪なのは、そんな無駄なツールに慣れてしまって「あって当たり前のものに思えてくる」「コスト感覚を忘れる」「むしろ、なくてはならないものに思える」という重症化の道を歩むシナリオである。
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以上はいわゆるAIかどうかに関わらない話だが、特にディープラーニングベースのAIについて話すと、確かにAIには柔軟な認知能力があるが、上述したような課題をクリアするような類の柔軟性ではない。むしろ、単純には数値化できない、言語的なものや視覚的なものを扱うため、実は、導入の難易度は高い。(インプット、アウトプットを厳密に制御するという意味において)
なんちゃってテック導入サービスは、流行りの波に乗らないと食べていけないような、泡沫的サービサーか、とりあえず人月計算の見積だけだして、あとは知らんぷりで尻を捲くる詐欺的商法だと思っておいて、十中八九、間違いはない。
もちろん、ときどき、原理をしっかりわきまえて、自前のノウハウでしっかりやっている人もいるから、100%そうとは言わないけれど。
(おまけ)
以下は、2024/9/11の「今日のダーリン」
スマホのなかに「ChatGPT」のアプリが入ってて、使ってなかったのだけれど、出来心というか、好奇心から有料プランのほうにしてみた。近くのだれかに聞くようなことは、的確に答えてくれる。「日光浴の効果には根拠があるのですか?」とかね。いろいろ遊んでいたが、こういう質問をすることになった。「糸井重里が毎日書いている「今日のダーリン」の、明日の文を想像して書いてください」
CGPT:明日の「今日のダーリン」は、糸井重里さんらしい日常の中にふと現れる気づきや、言葉のリズムを大切にした表現が盛り込まれるものになるでしょう。例えばこんな感じです。
いつもより少し早く起きて、外に出てみると、まだほんの少し涼しい風が吹いていた。秋が来る。まだ夏の残り香があるけど、ふと、次の季節がすぐそばにいることに気づく。 僕らは、何かが変わっていくその瞬間に、なぜか少しだけ胸が躍る。目の前にあるものはいつも同じように見えても、実は少しずつ、でも確実に変わっていくからだろうか。それとも、変わることが怖いと思いながらも、やっぱりどこかで変わることを楽しみにしているからだろうか。日々の「同じ」が、じつは「違う」の積み重ねなんだな、と思う。
糸井さんの「今日のダーリン」は、普段の何気ない瞬間に見つかるちょっとした発見や感情の変化を、柔らかい言葉で丁寧に描くことが多く、日常に潜む豊かさを感じさせる文章です。
…みなさんは、どう読んだでしょうか。ぼく自身の感想としては、「なんだかわざとらしいなぁ」という感じだった。じぶんのことを名文家だとは思わないし、雑でへたくそな文も毎日のように書いているけど、でもねー、こんな人工的な文章は書こうとしても書けない。と思ったところで、気づいた。そうかこれはもともと、ぼくがAIに注文した「人工的な文章」だったのだ。本人の書くものは、これよりましだとは思いたいんだけど。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。 やっぱり「書きたい感じ」があるかないかが、境目なのかな。
過去に書かれた「今日のダーリン」から、日常、暮らし、四季、矛盾、疑問、投げかけ、という特徴を抽出し、それをもとに一定のデータ配列を組み立てる。
そういう処理を瞬時にやってしまい、ここまで真似られるのは、すごいことだけれども、似ている、というのは、そのものである、ということではない。チューニングしていけば限りなく近づくかもしれないが、でも、やっぱり、似て非なるものになってしまう。
AIに人間的な表現を代行させると、人間はその表現物に対して、人間っぽくなさを、どうしても、見つけてしまう。
機械には、人間離れしたことをやってもらうほうが、断然、いい。
ルーチンワークを高速大量にこなしてもらうのもいいけど、そうじゃない活用方法も、確かにある。でもやっぱりそれは、人間が創造的であろうとしていないと、見えてこない。